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コラム 古文書が語る紀州の歴史?

粉河寺寺務御教書
 現在、毎年7月下旬、紀の川市の粉河寺周辺で粉河祭という祭礼が行われています。粉河寺境内にある産土神社から神輿が出て、JR粉河駅方面へ向かって「お渡り」を行い、前夜には夜空に美しく映える山車が練り歩きます。「紀州三大祭り」などとも呼ばれ、夏の初めの風物詩として、近隣から多くの見学者が訪れる祭礼としてよく知られています。
 この粉河祭は、史料の上では、南北朝時代の初めからみられます。当時は、粉河寺六月会と呼ばれ、毎年6月18日、粉河寺が支配していた紀の川沿いの村々から多くの村人が参列して盛大に行われていました。祭礼にはそれぞれ割り当てられた役があり、すべての村が平等に参加できたわけではなかったので、祭礼に参列することは村にとっても村人にとっても、大変、名誉なことでもありました。そのため、祭礼への参加をめぐって、しばしば村同士で裁判になることもあったのです。
 この文書は、南北朝時代、この粉河寺六月会で奉納される相撲をめぐって、東村と荒見村というふたつの村の間で争いとなった時、領主の粉河寺が下した判決文です。当時は、村にとってもその領域や構成メンバーが次第に確定されてゆく途上にあった時期であり、村の成立と祭礼への参加が、非常に密接な関係にあったことが分かります。裁判は東村の勝訴で一応の決着をみています。 (学芸員 高木徳郎)

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