今回は、書や絵に押されたハンコのうち、出身地を示すハンコについてご紹介しましょう。
江戸時代に入り、ハンコが広く普及すると、ハンコへの関心も高まりました。その結果、中国文化にくわしい文人たちが、本場中国のハンコ文化を積極的に取り入れ、書や絵にハンコを押して、制作者を示すようになったのです。
こうした書や絵のハンコにも、いくつかのルールがありました。
くわしくは、ハンコの基礎知識「ハンコが押される位置とその区別」に述べましたが、
たとえば、書や文章の始まりにあたる右上には、改変を防ぐための関防印(かんぼういん)を押します。
また、書や絵の終わりや署名のあとには、落款印(らっかんいん)を押します。
一方、遊印(ゆういん)は比較的自由な場所に押せました。
落款印には名前や雅号が、関防印や遊印には、好きな文章などを彫りました。
中には出身地や年齢を彫ったハンコもあります。
次に紹介する絵は、出身地を示すハンコを押した例です。
花鳥図 馬上清江筆(かちょうず うまがみせいこうひつ)
2幅対のうち1幅
絹本著色
縦111.3㎝ 横45.0㎝
文化11年(1814)
和歌山県立博物館蔵
馬上清江(?-1842)は、有田郡湯浅(現在の有田郡湯浅町(ありだぐんゆあさちょう))出身の画家で、名は徳五郎(とくごろう)、通称は馬徳(ばとく)です。この絵の右上に書かれた「文化甲戌秋日、馬徳寫(ぶんかこうじゅつしゅうじつ、ばとくしゃ)」というサインの下に押された二つのハンコは
「紀伊国湯浅人(きいのくにゆあさじん)」(陰文方印(いんぶんほういん))と
「馬徳」(陰文方印)
で、ハンコにも湯浅の出身であることが示されています。
清江は、野呂介石(のろかいせき、1747-1828)に師事し、谷文晁(たにぶんちょう、1763-1840)と交流したともされますが、不明な点も多く、これは彼の数少ない貴重な作例です。ハンコの中にあらわされた文章から、湯浅出身の紀州ゆかりの画家であることがわかります。この絵は、松亭という画家の花鳥図と2幅対のセットになっており、画面には、白木蓮(はくもくれん)と二羽の鳥、紅白の牡丹(ぼたん)など、おめでたい主題が描かれています。
このように、現在はほとんど忘れられてしまった画家について、ハンコの中に書かれた文章などから、その出身地がわかる場合もあります。
書や絵の筆者などについて調べるときには、こうした点にも注意しながら、きちんとハンコの文章を読んでみると、意外な発見があったりもするのです。(学芸員 安永拓世)
→企画展 ハンコって何?
→和歌山県立博物館ウェブサイト