先日、ツイッターで、この博物館ニュースを見た感想として「「ハンコの歪(ゆが)みは心の歪み!」と言って、ハンコの押し方に拘(こだわ)る上司がいたな」という書き込みがありました。
「ハンコのゆがみが心のゆがみ」とまでは思いませんが、今回の展覧会の準備過程で、さまざまな押されたハンコを見てみると、ハンコの押し方には、押した人の個性が、どこかしらにじみ出ているのは確かなようです。
先日の博物館ニュースで、ハンコを押す際に使う道具である印矩(いんく)の展示の仕方を間違っていたことをご紹介しましたが、一般的に、書や絵などにハンコを押す場合、この印矩という道具を使って、印影がゆがんだりしないようにします。
印矩は、写真のようにL字形の木枠のようになっており、この木枠のL字の直角になっている場所に、押そうとするハンコを添わせて押すと、ねらった場所に、ゆがまずハンコを押すことができるわけです。
また、絹の書や絵にハンコを押そうとする場合などには、朱肉が絹に定着しにくいため、同じハンコを同じ位置に、繰り返して何度も重ね押しする必要があります。そうした場合にも、この印矩を使い、印矩の場所を固定させておいてから、L字の直角の部分にハンコを合わせて押すと、何度でも同じ位置にハンコを重ね押しすることが可能になるのです。
このように、書や絵にきれいにゆがまずハンコを押そうとする場合には、印矩という道具が使われるわけですが、意外にも、今回展示している江戸時代の書や絵を見てみると、印矩を用いず、ハンコを重ね押ししていないのではないかと思われる例も多いことに気づきます。
たとえば、紀伊藩の儒学者であり、日本を代表する初期文人画家の一人でもあった祇園南海(ぎおんなんかい、1676-1751)の作品に押されたハンコの例を見てみましょう。
いずれも、比較的きれいに押された印影ではありますが、重ね押しはしていないようです。今回は、南海の作品を1点しかご紹介しておりませんが、南海が押したハンコは、全体的に印影が薄く、ゆがんで押されているものも多いため、印矩は使わなかったのではないかと想像されます。
次は、南海よりは少し後の時代に活躍した、和歌浦出身の文人画家である桑山玉洲(くわやまぎょくしゅう、1746-99)が押したハンコを見てみましょう。
上段に挙げたハンコは、印影もくっきりしており、ゆがみなどもないため、恐らく印矩などを使って丁寧に押したと思われますが、中段や下段に挙げたハンコは、印影も薄く、印面全体がきちんと押されていないものもあります。玉洲の画業全体を見てみると、比較的初期の作例では、印影が濃く、印矩などを使って丁寧にハンコを押しているようですが、晩年になるにしたがって、印影は薄くなり、ゆがんで押されたハンコも増えてくるようです。
つづいて、桑山玉洲の妻である桑山君婉(くわやまくんえん、?-1828)の作品に押されたハンコです。
君婉の作品は、現在知られている作品の数がそれほど多くないため、一概にはいえませんが、上のような薄い印影のものや、印影にムラのあるものが多く、重ね押しなどはあまりしなかったようです。
一方、玉洲と同じ和歌山出身の文人画家である野呂介石(のろかいせき、1747-1828)の作品に押されたハンコはどうでしょうか。
今回の展示でご紹介しているのは、最晩年の81歳のときに描かれた那智滝の絵で、絖(ぬめ)という艶(つや)のある絹に描かれたものです。こうした絖に押されたハンコは、絹の表面がすべりやすく、朱肉が定着しにくいため、かすれたり、にじんだりする場合が多いようですが、一番左の「四碧斎(しへきさい)」(陽文長方印(ようぶんちょうほういん))のハンコは、中央が少しかすれて印影が薄くなっていますが、その他二つのハンコは、比較的鮮明に印影があらわれています。絖の上に、これだけ鮮明な印影をあらわすには、やはり何度か重ね押しをしたのではないかと想像されます。他の介石の作品などを参考にすると、介石は、どの作品でもかなり丁寧に印影を押しており、若い頃から晩年にいたるまで、ほぼ一貫して、印矩などを使って、かなり几帳面(きちょうめん)にハンコを押したようです。
その野呂介石の養子である野呂介于(のろかいう、1777-1855)が押したハンコが次のようなものです。
介于の作品も、それほど多く確認されていないため、今後の検討が必要ですが、印影やゆがみには、あまりこだわらずに押したものが多いようです。
こうした、文人画家たちの印影とは対照的なのが、紀伊藩10代藩主である徳川治宝(とくがわはるとみ、1771-1852)が押したハンコです。
いずれも、絹に押された印影ですが、大半が非常に鮮明な印影となっています。
一番右下の印影は、少しぶれたようになっていますが、おそらく、印矩を使って重ね押しした際に、印矩がずれて印影が二重になってしまったのでしょう。こうした例からも類推されるように、治宝は、やはり印矩などを用いて、かなり丁寧にハンコを押していたとみられます。使っているハンコも重厚で、いかにもお殿様らしい立派なハンコですので、ハンコを押す際にも、印影にそれなりの威厳や格式がにじみ出るように、きっちり押したものと想像されます。
このように、何人かの印影を見てみるだけでも、それぞれに、ちょっとした特徴や個性が出ていることがわかってきました。
もちろん、同じ人物であっても、その時と場面に応じて、臨機応変に、ケースバイケースのハンコの押し方をしたはずですし、紙に押すハンコと、絹に押すハンコのように、ハンコを押す素材によっても印影は変わってきます。さらに、朱肉を変えれば、もちろん印影の濃さや、朱肉のつき具合もかわりますし、また、書や絵の表装(ひょうそう、本紙の周囲にはってある絹などの飾りの部分)を変えるときには、ある程度、本紙の汚れを落としてきれいにするので、その際に印影などが薄くなってしまうこともあります。
こうした状況を考えると、ハンコの印影に、一概に個性だけが出ているとはいいきれませんが、ゆるやかな個人の傾向が、ハンコの押し方に、にじみ出ているように感じられるのも、また、確かです。
以前の「ハンコの基礎知識」篆刻(てんこく)の小宇宙でも少し述べましたが、ハンコの魅力の一つは、何度でも同じ印影をくりかえし押すことができる点にあります。
ハンコを持つ楽しみの一つは、ハンコを色々な場面で押せることであるともいえるでしょう。
ただ、ここで少し注意が必要なのは、たとえ同じハンコであっても、押し方などによって、本当にわずかではありますが、押すごとに印影は微妙に異なっているということです。
朱肉のつき具合や、ハンコを押す力の加減などは、毎回異なるわけですから、厳密な意味での同じ印影というのは、あり得ないわけです。
これは、同じハンコを10回ほど押してみればわかることで、10回とも全く同じようにハンコを押すのは、実は、とても難しいことなのです。
だからこそ、ハンコの押し方にも、その人なりの、その時々の個性がにじみ出るのかもしれません。
押されたハンコの印影から、その押した人の個性や人となりを想像してみることも、あるいは、ハンコを見る楽しみの一つなのではないでしょうか。(学芸員 安永拓世)
→企画展 ハンコって何?
→和歌山県立博物館ウェブサイト