「桑山玉洲のアトリエ」展のコラム9回目です。
以前、このコラムで、玉洲が使っていた画材道具をご紹介しましたが、今回は、それとは別に伝来している玉洲が使ったとされる画材道具である
「画材道具 (伝桑山玉洲所用)」をご紹介しましょう。
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画材道具 (伝桑山玉洲所用)
(がざいどうぐ (でんくわやまぎょくしゅうしょよう))
これは、和歌山市内の旧家から発見されたという画材道具で、外箱に、「桑山嗣燦/繪の具箱」という墨書銘のある紙が貼(は)られていることから、玉洲の画材道具と伝えられるものです。
画材道具は、全て、木製の手提げ箱に収納されており、いわば、携帯用の画材道具箱といったところでしょうか。箱には当初、慳貪状(けんどんじょう)の前蓋(まえぶた)が付属していたようですが、現状では欠失しています。また、箱には五つの抽斗(ひきだし)があり、上から1段目には「絵皿(16口)」、上から2段目には「筆(17枝)」、上から3段目の右側には「膠(にかわ)(2片)」と「竹篦(たけべら)(3枝)」、上から3段目の左側には「絵皿(2口)」・「深鉢(2口)」・「小壺(こつぼ)(1口)」、上から4段目の右側には顔料や染料などの「絵具(17包、1皿)」が収納されています。
以下、各抽斗の内容品について、少し詳しくご紹介しておきましょう。
まず、1段目の抽斗は、底の左右奥に長方形の穴があり、さらに4列4行の計16個の円形穴が設けられ、その中に絵皿の高台(こうだい)をはめ込む形式になっています。
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16口の「絵皿」のうち、2口のみは浅葱釉(あさぎゆう)の浅い小皿で、
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残る14口はいずれも外側に龍(りゅう)の文様を染付(そめつけ)であしらった小皿です。
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このうち3皿には朱や茶などの絵具がまだ付着しています。左右にある長方形の穴の用途は不明ですが、あるいはこの抽斗ごと持ってパレットのように使用するための穴かもしれません。
次に、2段目の「筆」が収納された抽斗ですが、17枝の筆をきちんと設置するための溝が設けられた懸子状(かけごじょう)の板があり、抽斗の手前には横に2枝、その他は縦に15枝の筆を並べるように工夫されています。筆の並びにも順番があるようで、筆管(ひっかん)の管尾には小さく漢数字が書かれており、それらを並べると、おおむね、筆管の太い順に並ぶようです。また、全ての筆に、筆帽(ひつぼう)すなわちキャップが付属しており、それらの多くにも先端に漢数字が書かれ、筆管と混乱しないようになっています。
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なお、筆管には、それぞれ銘が彫られているので、参考のため、手前から奥、続いて右から左へと、その銘を列挙しておきましょう。「宇宙光華」、「彩筆生花」、「化成天下」、「台光近日」、「潤色」、「表正萬方」、「表正萬方」、「天顔有喜」、「光被四表」、「指揮如意」、「輝映山川」、「杏苑仙才」、「中和位育」、「文成五色」、「梨花伴月」、「文治光天」、「氷壺秋月」。
一方、上から3段目の左側の深い抽斗については、内容品を若干補足しておきましょう。手前に2口ある「絵皿」は、1段目の染付小皿とは別の白い無地の小皿で、一口には胡粉(ごふん)が付着しているようです。これに対し、「深鉢」と「小壺」は1段目の龍文染付皿(りゅうもんそめつけざら)と同様のもので、器の外側に龍の染付文があらわされています。
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なお、2口あるうち、大きい方の深鉢には、底に焦げたような使用痕がありますが、残る小さい方の深鉢と小壺に付着物はなく、小壺には茶色い仕覆状(しふくじょう)の袋が付属しています。
最後に、上から4段目右側の抽斗ですが、ここには、金泥(きんでい)のついた「絵皿(1口)」と、17包の「絵具」が収納されています。
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17包のうち14包には外側に墨書銘があります。包まれている中身の絵具と一致しないものもありますが、参考のため、以下、墨書銘を列挙しておきましょう。
「青黛」、「ぐんじやふ」、「青石細末」、「長吉丹共云/吹屋丹/二両」、「極上丹」、「大極上/生白粉/小半斤」、「吾粉」、「ゴフン」、「胡粉」、「熊野/小黄連/一歩」、「上々/藿香/一両」、「着色」、「上/ゴヲルトステイン」、「上々/石音/壱歩」。
ちなみに、「熊野/小黄連/一歩」とある包みの中には、綿臙脂(わたえんじ)が収められており、
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桑山家旧蔵の「画材道具類(桑山玉洲所用)」にも綿臙脂が含まれていたことから、両者の関連性も想定されます。
なお、この画材道具は、桑山家旧蔵資料ではないようですが、この道具が伝来したという旧家は、玉洲とも交流のあった文人画家である野呂介石(のろかいせき、1747~1828)の屛風なども所蔵した和歌山城下の名家であり、もともと玉洲所用であった可能性は十分に考えられます。
ただ、絵具の一部には、玉洲よりもやや後の時代に使用されたとみられるものも若干含まれており、さらなる、検討が必要です。
とはいえ、絵皿として使用されている小皿や深鉢・小壺などは、浅葱釉のものも、龍文染付のものも、いずれも中国製の貴重な陶磁器とみられます。また、筆なども、非常に高価で貴重な中国製の筆あるとの指摘もあり、日常用として使う画材道具というよりは、かなり特別な際に使用されるような画材道具だったのではいかとも想定されます。
コラム4やコラム5でご紹介した桑山家旧蔵の「画材道具類(桑山玉洲所用)」と重複する絵具もあるようですので、
→コラム4「玉洲が使っていた画材道具1」
→コラム5「玉洲が使っていた画材道具2(墨)」
詳細については、今後のさらなる検討と解明を期待したいと思います。(学芸員 安永拓世)
→特別展 桑山玉洲のアトリエ―紀州三大文人画家の一人、その制作現場に迫る―
→和歌山県立博物館ウェブサイト