企画展「江戸時代の紀州の画家たち」の関連コラム
「紀州の画家紹介」
13回目にご紹介するのは、前田有竹(まえだゆうちく)です。
前田有竹(まえだ・ゆうちく)
◆生 年:未詳
◆没 年:未詳
◆享 年:未詳
◆家 系:山口屋総十郎(やまぐちやそうじゅうろう)という和歌山城下の町人
◆出身地:紀伊
◆活躍地:紀伊・讃岐?
◆師 匠:野呂介石(のろかいせき、1747~1828)
◆門 人:未詳
◆流 派:文人画
◆画 題:山水
◆別 名:山口屋総十郎・世美・子済など
◆経 歴:町人、文人画家。未詳な点も多いが、紀伊藩士で文人画家の野呂介石の高弟とみられる。文化8年(1811)以前に、介石と犬鳴山(いぬなきさん)へ行き、その際に描き捨てた介石の絵を拾って、後世、介石に題を書かせた「秋景山水図(しゅうけいさんすいず)」(東京国立博物館蔵)が知られる。また、文化9年(1812)、讃岐国出身の文人画家である長町竹石(ながまちちくせき、1757~1806)の7回忌追善展観には、介石や介石の高弟である野際白雪(のぎわはくせつ、1773~1849)とともに「雨余春暁図(うよしゅんぎょうず)」を出陳。このほか、介石が文化13年(1816)に下和佐(しもわさ、現在の和歌山市下和佐)の慈光寺(じこうじ)で描いた「秋江垂釣図(しゅうこうすいちょうず)」の箱書を記すなど、介石と行動を共にすることも多かったようだ。なお、妻の前田紫石(まえだしせき、生没年未詳)も介石に絵を学んだらしく、介石門人の寄合描(よりあいがき)である「泉石嘯傲図(せんせきしょうごうず)」(和歌山県立博物館蔵)では、紫石とともに寄合描に参加。また、紫石は、介石から晩年の代表作である文政7年(1824)制作の「泉石嘯傲図帖(せんせきしょうごうずじょう)」(個人蔵)を贈られている。ちなみに、京都の画家である白井華陽(しらいかよう、?~1836)が天保2年(1831)に刊行した『画乗要略(がじょうようりゃく)』でも、介石の門人の1人として有竹の名が挙がる。また、有竹は、その後、西国を遊歴したとの説もあり、嘉永6年(1853)刊行の『古今南画要覧(ここんなんがようらん)』では、「前田有竹」なる画家が「讃岐」の画家として掲載されている。
◆代表作:「夏景山水図(かけいさんすいず)」(和歌山県立博物館蔵)文政6年(1823)、頼山陽(らいさんよう、1780~1832)賛「山水図」(個人蔵)文政8年(1825)など
今回展示しているのは、有竹の代表作である「夏景山水図」(和歌山県立博物館蔵)です。
(以下、いずれも画像をクリックすると拡大します)
款記は「癸未暮春写/有竹田世美」で、印章は「世美」「有竹」(朱文楕円連印)です。
全体に淡泊な描写となっていますが、山や水辺の構図、家屋や山肌の描き方に、介石からの影響がうかがえます。有竹自身の生没年はわかっていませんが、この絵は、左上の款記から文政6年(1823)3月の作であるとわかり、介石の生前に描かれている点で貴重な作例です。当時、介石は77歳、有竹がこの時点で、ある程度の技量を身につけていることが見て取れ、介石の指導が行き届いていたことをも物語っています。(学芸員 安永拓世)
→江戸時代の紀州の画家たち
→和歌山県立博物館ウェブサイト