トップページ >博物館ニュース >「笠田高等女学校を思う」

「笠田高等女学校を思う」

和歌山県立博物館友の会マイミュージアムギャラリー
第22回展示 「笠田高等女学校を思う」
【出 陳 者】 松山 艶子
【展示期間】 平成22年11月20日(土)?平成23年1月21日(金)
【出陳資料】 校章バッジ・女子挺身隊ワッペン(昭和時代)
マイミュージアム22
【資料をめぐる思い出】
「九度山町出身の私は、国民学校(尋常小学校)を卒業後、和歌山県立笠田(かせだ)高等女学校に通うことになりました。
 バッジは、その女学校のものです。中央に「笠」、周囲は「女」という字でデザインされています。昭和23年(1948)に、女学校から共学の笠田高校になり、私はその第一期生となりました。
 ワッペンは、在学中に大阪・森の宮の軍需工場に、女子挺身隊として動員されたときのものです。布に縫いつけ、それを肩に付けていました。裏側には糸で、私の旧姓「坂本」と記してあります。」
【学芸員の一口メモ】
 和歌山県立笠田(かせだ)高校(伊都郡かつらぎ町笠田東)は、昭和2年(1927)に設置された、笠田町立笠田高等家政女学校を前身とします。女学校の設立に尽力したのは、当時の笠田町長木下甫(はじめ)(1877?1951)です。
 その後、昭和15年(1940)に県立に移管され、同17年には高等女学校令に基づき笠田高等女学校に変更されました。
 戦後、男女共学・学区制・総合制をとる新制高等学校として昭和23年(1948)に笠田高校となり、同年5月10日に開校式が行われました。校名は、「睦ケ丘(むつみがおか)高校」とする案もあったようです。当初の学科は普通科のみで、さらに別科・定時制課程が設けられました。現在は普通科・総合ビジネス科・情報処理科の三科となっています。
→これまでのマイミュージアムギャラリーの展示品
→マイミュージアムギャラリーとは
→ポケットブック「マイミュージアムギャラリーができるまで」(上田早紀氏構成・絵)
→和歌山県立博物館ウェブサイト

ツイートボタン
いいねボタン