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コラム 新収蔵品展(1) 今はわからなくなったことも―熊野新宮神宝図巻― 

和歌山県の新宮市にある熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)には、熊野にまつられている12の神々へ南北朝時代の明徳元年(1390)に奉納された、約1000点の古神宝(こしんぽう)と呼ばれる宝物が残されています。
現在、「新収蔵品展」で展示している「熊野新宮神宝図巻(くまのしんぐうしんぽうずかん)」という絵は、江戸時代に、紀伊藩士で、有職家(ゆうそくか、宮廷の儀式の決まりなどを研究する学者)でもあった宇治田忠郷(うじたたださと、1691-1744)が、この熊野速玉大社の古神宝を描いたものの写し(模写)です。
熊野新宮神宝図巻展示風景 画像クリックで拡大します
絵の巻末に書かれた文章によると、紀伊藩の6代藩主である徳川宗直(とくがわむねなお、1682?1757)が、宇治田忠郷に命じて描かせたものであることもわかります。
ところで、この絵に描かれた古神宝をよく見てみると、今はわからなくなっている古い時代の古神宝の状況が、いくつか明らかになるのです。
その一つが、この懸守(かけまもり)の状態です。
懸守 画像クリックで拡大します
懸守キャプション 画像クリックで拡大します
現在も、懸守は、熊野速玉大社の古神宝の中に含まれて残されていますが、その周囲をおおう裂(きれ)は、大半が失われています。
しかし、この絵に描かれた懸守を見てみると、全体が青い裂でおおわれていたことがわかりますし、側面には昆虫の蝶(ちょう)の形をした金具があったこともわかります。この蝶の金具も現在は失われているのです。
もう一つは、鎌槍(かまやり)の奉納先についてです。
鎌槍 画像クリックで拡大します
鎌槍キャプション 画像クリックで拡大します
実は、この鎌槍は、現在は熊野速玉大社に残されておらず、京都国立博物館に所蔵されています。
その経緯は次のような理由からです。
熊野速玉大社とゆかりの深い摂社(せっしゃ)で、同じ新宮市内にある阿須賀神社(あすかじんじゃ)には、熊野速玉大社と同じ明徳元年(1390)に、同じ古神宝が奉納されました。
この阿須賀神社の古神宝は、第二次世界大戦前後に、一時、熊野速玉大社に預けられていたようですが、第二次世界大戦で焼失した阿須賀神社の社殿を再建するため、昭和26年(1951)に国へ売却され、現在は、京都国立博物館の所蔵になっているのです。
この鎌槍も、そうした阿須賀神社の古神宝の中に含まれるとみなされたため、現在は、京都国立博物館にあるのですが、実は、この「熊野新宮神宝図巻」の記述を見てみると、阿須賀神社ではなく、神倉神社(かんのくらじんじゃ)という神社に奉納された鎌槍であったことがわかります。
神倉神社も熊野速玉大社とゆかりの深い摂社であり、やはり、その宝物は一時、熊野速玉大社に預けられていたようですので、いずれかの段階で、二つ神社の宝物が混乱してしまったのでしょう。
このように、「熊野新宮神宝図巻」からは、今の熊野速玉大社の古神宝自体からは得られない、さまざまな情報が得られるのです。
展示では、こうした説明を、上の図版で挙げたような赤い矢印をつけた小さなキャプションで補って説明しています。
また、もう少し簡単に解説した下のようなキャプションも並べて置いています。
熊野新宮神宝図巻かんたん解説 画像クリックで拡大します
ぜひ一度、展示で実物の資料をごらんになってください。(学芸員 安永拓世)
企画展 新収蔵品展
和歌山県立博物館ウェブサイト

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