江戸時代、御三家の一つであった紀伊徳川家では、初代藩主の頼宣(よりのぶ、1602?71)が受け継いだ家康の遺宝をはじめ、多くの名品や名宝を所蔵していました。それらの中には、刀剣や甲冑(かっちゅう)などの武具のほか、中国や日本の書や絵画、茶道具や文房具などの諸道具、小袖(こそで)や能装束などの服飾、さらには典籍などの出版物にいたるまで、多種多様なものが含まれていたのです。
しかし、江戸時代が終わり、時代が明治にうつると、そうした名品の数々は、紀州東照宮などに奉納された一部のものを除き、さまざまな理由で大半が紀伊徳川家のもとを離れてしまいました。ただし、紀伊徳川家の旧蔵品の箱には、幸い特別な所蔵票(ラベル)が貼られている場合が多いため、紀伊徳川家のもとを離れてのちに発見されても、本来は紀伊徳川家で所蔵されていたということが分かるものも少なくありません。
写真に挙げた古銅獅子香炉(こどうししこうろ)も、そうした紀伊徳川家旧蔵資料の一つで、やはり、箱には紀伊徳川家の所蔵票が貼られています。この資料は、茶席などで飾られる銅製の香炉で、獅子(しし)に似たユーモラスな動物の顔がとても印象的です。首から上の部分が蓋になっており、体の部分は空洞になっています。体の部分に香を入れ、大きく開いた口から香の煙が出たのでしょう。また、腹の下の部分には、中国の南宋(なんそう)時代の嘉定(かてい)5年(1212)の年号があるため、作られた時期が分かる点でも大変貴重な作品です。
このような中国製の文物は、日本では「唐物(からもの)」と呼ばれ、貴重な輸入品として、茶道具や大名道具ではとくに珍重されました。紀伊藩主は、こうした道具を通じて、中国の文化や芸術に接していたものと思われます。
なお、箱書などによると、この香炉は「獅子」と書かれており、日本では獅子形の香炉とみなされていたようですが、頭には角のようなものが二本生えており、また足にも蹄(ひづめ)のようなものがあるので、中国ではもともと想像上の動物である麒麟(きりん)として作られたのかもしれません。。(学芸員安永拓世)
→企画展 紀伊藩主をめぐる文雅
→和歌山県立博物館ウェブサイト