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コラム 紀州の画家紹介 11 野呂介石の門人たち

企画展「江戸時代の紀州の画家たち」の関連コラム
「紀州の画家紹介」
11回目の今回は、特定の画家ではなく、野呂介石の門人たちの合作をご紹介したいと思います。
野呂介石の門人たちの合作
野呂介石は、紀州で多くの門人を指導し、後の紀州の画壇に大きな影響を与えたことでも知られています。
次に挙げる「泉石嘯傲図(せんせきしょうごうず)」(和歌山県立博物館蔵)という絵は、介石と彼の門人たちが一つの絵の画面の中で合作した、非常に興味深い作例です。この絵のように一つの画面にさまざまな人物が、さまざまな主題を描いた絵は寄合描(よりあいがき)と呼ばれました。
野呂介石・阪上梅圃ほか筆 「泉石嘯傲図」 (和歌山県立博物館蔵) 軽
(以下、いずれも画像をクリックすると拡大します)
まず、一番上に書かれているのは「泉石嘯傲」という介石の書です。
野呂介石筆 「泉石嘯傲」書 軽
野呂介石筆 「泉石嘯傲」書 款記 軽 野呂介石筆 「泉石嘯傲」書 印章 軽
款記は「矮梅陳人書」で、印章は「第五隆印」「介石居士」(白文連印)です。
「泉石嘯傲」とは、中国の北宋時代の宮廷画家である郭熙(かくき、生没年未詳)が、『林泉高致集(りんせんこうちしゅう)』という著作の「山水訓(さんすいくん)」の中で述べた一節です。(『林泉高致集』は、実際には郭熙の生前の言葉を、子の郭思(かくし、?~1130)が編纂したもの)
この介石の書の下を朱線で10か所の区画に分け、各区画の中に10人の介石の門人たちが絵を描いています。
描かれた絵の主題と、その筆者を、画面向かって右から左の順で見ていきましょう。
まず、画面右上は、和歌山城下の町人である阪上梅圃(さかがみばいほ、生没年未詳)の描いた「山水図(さんすいず)」です。
阪上梅圃筆 「山水図」 軽
阪上梅圃筆 「山水図」 款記 軽 阪上梅圃筆 「山水図」 印章 軽
款記は「梅圃」で、印章は冒頭の2文字が判読できず、「□□之印」(白文長方印)でしょうか。
続いて、その下の画面右中上にあるのは、介石の養子である野呂介于(のろかいう、1777~1855)が描いた「山水図」となります。
野呂介于筆 「山水図」 軽
野呂介于筆 「山水図」 款記 軽 野呂介于筆 「山水図」 印章 軽
款記は「隆忠」で、印章も「隆忠」(朱文長方印)です。
さらにその下、画面右中下にあるのは、和歌山城下の町人である前田有竹(まえだゆうちく、生没年未詳)が描いた「山水図」となります。
前田有竹筆 「山水図」 軽
前田有竹筆 「山水図」 款記 軽 前田有竹筆 「山水図」 印章 軽
款記は「辛巳春日寫/有竹山人」で、印章は「前田世美」(白文方印)です。
この款記の「辛巳」から文政4年(1821)の合作であることがわかります。
また、その下の画面右下は、前田有竹の妻である前田紫石(まえだしせき、生没年未詳)が描いた「朱竹図(しゅちくず)」です。
前田紫石筆 「朱竹図」 軽
前田紫石筆 「朱竹図」 款記 軽 前田紫石筆 「朱竹図」 印章 軽
款記は「紫石」で、印章は「英印」(白文長方印)です。
一方、再び上部に戻って、画面上部中央にあるのは、阪上淇澳(さかがみきおう、生没年未詳)の妻にあたる阪上素玉(さかがみそぎょく、生没年未詳)が描いた「墨梅図(ぼくばいず)」となります。
阪上素玉筆 「墨梅図」 軽
阪上素玉筆 「墨梅図」 款記 軽 阪上素玉筆 「墨梅図」 印章 軽
款記は「素玉女史」で、印章も「素玉女史」(朱文方印)です。
続いて、その下の画面ほぼ中央は、素玉の夫で、和歌山城下の町人であるとみられる阪上淇澳が描いた「墨竹図(ぼくちくず)」となります。
阪上淇澳 「墨竹図」 軽
阪上淇澳 「墨竹図」 款記 軽 阪上淇澳 「墨竹図」 印章 軽
款記は「正行」で、印章も「正行」(朱文長方印)です。
さらに、その下の画面中央下は、介石の高弟で後に紀伊藩のお抱え絵師となった野際白雪(のぎわはくせつ、1773~1849)が描いた「山水図」となります。
野際白雪筆 「山水図」 軽
野際白雪筆 「山水図」 款記 軽 野際白雪筆 「山水図」 印章 軽
款記は「蔡徴」で、印章は「蔡徴之印」(白文方印)、「蔡伯亀」(白文方印)です。
再び上に戻って、画面左上は、町人出身とみられる薗部屋東渠(そのべやとうきょ、生没年未詳)が描いた「天香書屋図(てんこうしょおくず)」となります。
薗部屋東渠筆 「天香書屋図」 軽
薗部屋東渠筆 「天香書屋図」 款記 軽 薗部屋東渠筆 「天香書屋図」 印章 軽
款記は「天香書屋/東渠」で、印章は「瀧久敬印」(白文回文方印)です。
さらに、その下の画面左中は、笹屋という町人である小山青筠(こやませいいん、生没年未詳)が描いた「山水図」となります。
小山青イン筆 「山水図」 軽
小山青イン筆 「山水図」 款記 軽 小山青イン筆 「山水図」 印章 軽
款記は「青筠」で、印章は「山帠年印章」(白文方印)です。
最後に、画面一番左下は、野際白雪の養子である野際蔡新(のぎわさいしん、1819~71)が描いた「墨蘭図(ぼくらんず)」となります。
野際蔡新筆 「墨蘭図」 軽
野際蔡新筆 「墨蘭図」 款記 軽 野際蔡新筆 「墨蘭図」 印章 軽
款記は「蔡新」で、印章は「蔡新」「新斎」(白文連印)です。
これだけ多くの介石の門人が一度にそろって合作を描いている例は非常に珍しく、また、それぞれの画家が、介石の絵をよく学んだことを示す点でも貴重な作例といえます。前田有竹の「山水図」に年紀があり、文政4年(1821)という制作年がわかる点も重要でしょう。このとき、介石は75歳、門人たちに囲まれる晩年の介石の姿が目に浮かぶかのようです。
なお、この絵の中に登場した介石の門人たちのうち、何人かについては、次回以降のコラムで順次紹介していきます。(学芸員 安永拓世)
江戸時代の紀州の画家たち
和歌山県立博物館ウェブサイト

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