和歌山城はいつ築城されたの? 殿様はだれ?
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(県庁交差点から天守閣を望む) (岡口門から天守閣を望む)
和歌山城の築造が始まるのは、1585年(天正13年)のことです。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、弟の秀長(ひでなが)に命じて造らせました。
今から、426年前のことです。
このとき、初めて「和歌山」という地名が使われて、
「和歌山城」と呼ばれるようになったといわれています。
「和歌山」という地名の由来ははっきりしたことはわかりませんが、
一説によれば、万葉集にも歌われた「和歌浦」とお城が建っている場所である「岡山」が一緒になって、
「和歌山」と呼ばれるようになったとされています。
どうやら、「和歌山」という地名はそんなに古くはないようです。
秀長によって造られた和歌山城ですが、秀長の本拠地は大和郡山(奈良県)であったため、
和歌山城にはその家臣である桑山重晴(しげはる)が城代(城主)として入りました。
関ヶ原の戦いが終わった、1600年(慶長5年)に和歌山には新しく浅野幸長(あさのよしなが)が藩主となり、
19年間幸長とその弟である長晟(ながあきら)が和歌山城の城主を務めています。
1619年(元和5年)に浅野氏が広島に移り、
駿府(静岡県)から徳川家康(とくがわいえやす)の子どもである頼宣(よりのぶ)が和歌山に入国しました。
それ以後明治になるまでの約250年間、14代にわたって徳川氏が藩主(城主)を務めています。
教科書にも出てくる徳川吉宗(とくがわよしむね)は、8代将軍として江戸に行くまでは、
和歌山城の城主(5代藩主)となっていた時期もありました。
次回(8月4日)のテーマは、「『和歌山城』って何をするところ?」を予定しています。
(主任学芸員 前田正明)