今日(24日)、午後1時30分から午後3時まで、博物館講座「安楽寿院・?あらかわ?と覚栄」を開催し、37人の参加者がありました。
講演の内容は、木食応其を支えた僧・覚栄に焦点をあて、
1木食応其と覚栄
2京都における覚栄の活動
3紀州における覚栄の活動
この3つの視点から、覚栄の事績に迫りました。
(講演会の様子)
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(配付した資料)
1では、まず応其の事績を紹介し、覚栄が応其の内衆(奉行)の一人であることを示す資料を提示しました。同時に住持の寺院である興山寺(紀の川市桃山町)、十輪院(根来寺の塔頭)、遍照院(安楽寿院の塔頭)と覚栄とのかかわりを示す資料を紹介しました。
2では、?方広寺大仏殿の造営、?安楽寿院の復興、?東寺・醍醐寺の再建、この3つの視点から、京都における覚栄の活動を紹介しました。今回の特別展は、とくに?に主眼をおいており、?について具体的な展示資料を紹介しながら、安楽寿院の復興の様子をお話ししました。?と?については、これまで明らかになった資料を提示しましたが、今後新たな資料を発掘し、覚栄の活動をより明らかにしていきたいと思います。
3では、?紀ノ川流域における応其・覚栄の活動、??あらかわ?地域と覚栄、この2つの視点から、紀州における覚栄の活動を紹介しました。とくに、?ではかつらぎ町妙寺の遍照寺旧本堂の再興、本堂に安置された三体の仏像制作において覚栄が果たした役割を紹介しました。?では、三船神社と八幡宮の再興、興山寺の創建に果たした覚栄の役割にふれるとともに、残されている資料から、安楽川荘内における平野氏・奥氏や安楽川荘中とのかかわりのなかで、覚栄の果たした役割を紹介しました。最後に、覚栄が活動した時期とは少しずれますが、安楽川地域に生まれた美福門院隠棲地伝承が、江戸時代に活発化する安楽川と隣郷との間での境界争論と関係している可能性のあることにふれました。
今後は、展覧会開催後に明らかになった覚栄と根来寺とのかかわりをふまえ、天正13年の紀州攻め以降の根来寺の動向と、京都・紀州での覚栄の活動とのかかわりについても考えてみたいと思います。
講座終了時間を5分超過してしまいました。
長時間のご静聴ありがとうございました。
講演会のあと、ミュージアムトークを行い、33人の参加がありました。
(三千仏図の前での展示説明) (根来寺境内絵図の前での展示説明)
特別展の会期も、あと12日となりました。、皆さんのご来館をお待ちしています。
次回のミュージアムトークは、30日(土)午後1時30分から行います。
(主任学芸員 前田正明)
→和歌山県立博物館ウェブサイト
→特別展 京都・安楽寿院と紀州・?あらかわ?