トップページ >博物館ニュース >巨大な涅槃図、初公開 展示中!

巨大な涅槃図、初公開 展示中!

仏涅槃図(ぶつねはんず)とは、釈迦(しゃか)の入滅(にゅうめつ、亡くなること)の場面を描いた絵で、釈迦が亡くなった日におこなわれる涅槃会(ねはんえ)という法要などで本尊として用いられるものです。
実際に釈迦が亡くなった日についてはよくわかっていませんが、中国では、太陰暦の2月15日のこととされています。太陰暦の2月15日は、現在用いられている太陽暦よりおよそ1か月早いので、現在の日本では、3月15日に涅槃会をおこなう寺院も少なくありません。
今日は、その3月15日ですので(今年は、太陰暦の2月15日は、太陽暦の3月30日に相当します)、ちょうど現在展示中の仏涅槃図を、ご紹介しましょう。
仏涅槃図(軽)(画像をクリックすると拡大します)
仏涅槃図 和歌山県立博物館蔵
この涅槃図は、先日、企画展示室に写場を設営して、特別に撮影した、あの巨大な涅槃図です。
あまりに巨大で、展示室にも入りきりませんでした…。
涅槃図展示中DSC_6942展示中の状況です(画像をクリックすると拡大します)
(軸の下の部分を地面に垂らして展示していますが、保存上問題はございません。)
画面中央に金色の釈迦を描き、その周囲には、釈迦の死をなげき悲しむ人物や動物を描いています。画面右上から雲に乗って下りてくる女性は、釈迦の母親にあたる摩耶夫人(まやぶにん)です。涅槃図の一般的な構図ではありますが、巨大な掛軸であることもあり、全体に太い輪郭線で、力強く描かれています。
絵の裏に書かれている文章によると、
涅槃図裏書(画像をクリックすると拡大します)
この涅槃図は、寛永14年(1637)に、現在の紀の川市貴志川町上野山(きのかわしきしがわちょううえのやま)にあった了法寺(りょうほうじ)へ、当時の住職の日眼(にちがん)という僧侶が奉納したもののようです。
了法寺は、紀伊藩初代藩主である徳川頼宣(とくがわよりのぶ、1602?1671)の家老であった三浦為春(みうらためはる、1573?1652)が、元和9年(1623)に建てた日蓮宗(にちれんしゅう)の不受布施派(ふじゅふせは)の寺院です。了法寺のあった上野山村やその周辺は、江戸時代の初めごろは、三浦家の所領でした。
その後、為春は、慶安3年(1650)に現在の和歌山市坂田にあった浄土寺という寺院を廃して、そこに了法寺を移転しましたが、旧了法寺は、玄英寺(げんえいじ)と名を変えて、了法寺の寺地を引き継ぐこととなります。また、移転した了法寺は、その後、日蓮宗の不受布施派の弾圧が厳しくなったので、日蓮宗から天台宗(てんだいしゅう)に宗派を変えました。
この涅槃図が、移転した了法寺に移されたのか、それとも、旧了法寺である玄英寺に残されたのかは、現状ではわかりませんが、いずれにせよ、三浦家とゆかりの深い了法寺に奉納された作品として、また、江戸時代前期の奉納年の明らかな涅槃図の大作として、貴重な作例といえるでしょう。
この絵は、平成19年(2007)に存在が確認され、後に、博物館の所蔵品となりました。
今回の展示が初公開となりますし、これだけ巨大な掛軸ですと、なかなか展示できる機会もございません。
ぜひ、お見逃しなく。(学芸員 安永拓世)
企画展 「新発見・新指定の文化財」
和歌山県立博物館ウェブサイト

ツイートボタン
いいねボタン