館蔵品1065 明恵上人夢記断簡
明恵は承安3年(1173)、石垣荘吉原村(有田川町吉原)に生まれました。父は平重国、母は湯浅宗重の娘です。
明恵は特に戒律を重視し、仏教の改革に努めたことで知られています。
明恵にとって夢は宗教体験そのものであり、夢を仏の世界からのメッセージと確信していたため、
丁寧に夢の内容を記録しています。それが「夢記」と呼ばれる一群の書です。
夢記は現在、建久7年(1196)から寛喜2年(1230)に至る時期のものが、欠落を含みつつ確認されており、
多くは高山寺に残されていますが、一部が寺外に流出し、コレクターや各地の博物館などで分蔵されています。
ここで紹介するのは、和歌山県立博物館が所蔵する断簡です。
【釈文】
一同十九日夜夢云〈欲修弥勒法之間也〉、
有一疋黒犬病惱ス、高弁幷房中諸人
看病之大事犬也ト思、見其犬自、如師子眼、
又有一人女房、唐土之人也ト思、即日来此に
居給フ、可令還唐土給之由被仰、心細気ニ
思召セリ、令乞形見給ヘハ、書物テ進之云々、
《一同》 案曰此文殊也、犬ハ師子也、《依》此学文
処ノ中尊に不可奉懸之由ヲ思ニ依テ
有此夢云々、
雖然、其後不思得、付弥勒修
一同廿二日夜夢云、
《有入来曰此栂尾》、有人持一虵枝懸之、即
入頸(小袖)中、舒手将取出之、即覚了、
又夢人来曰、此栂尾□人〈正達房〉従
※《 》は見消、〈 〉は割書・寄字
【内容】
記された年・月はわかりませんが、19日・22日の両日分が一紙に記されています(22日分は後欠)。
裏面には文字が記されいますが、残念ながら判読することができていません。
この資料は、明恵自身が「高弁」と自称していることから、承元4年(1210)以降に記されたものと思われます。
19日条には、弥勒法を行おうとした際の夢が記されています。
明恵と房中の人とで一匹の病の黒犬を看病していたところ、
房に常住していた唐人女性が帰国するにあたって形見を乞われたので、
書物を送った、という内容の夢です。
明恵は、夢に表れる唐人女性を文殊菩薩、黒犬を獅子であると考えたようです。
学問所の中尊として弥勒菩薩像を懸けるべきではないと考えていたために、
このような夢を見たのではないか、と明恵は夢の解釈しています。
さらに続けて、実際には弥勒菩薩像を懸けて修法したとも記されています。
高山寺の学問所に関わる内容で、明恵が高山寺を主な活動の場としていた貞応2年(1225)以後の夢記と思われます。
(黒)犬が登場することも特徴的で、また弥勒と文殊の対比など、
明恵の信仰を知ることができる点も興味深いものがあります。
22日条は、ある人が蛇を持ち枝に懸けていたのが、頸の中に入り、
手を伸ばして取り出そうとしたところ目が覚めた、と夢の内容が記されます。
ただ、後半部分は欠けているため、夢の解釈については不明です。
正達房という高山寺の僧侶の名前が見えるので、
19日条と同様、高山寺での出来事を記したものと推測されます。
なお、この資料は、
奥田勲・平野多恵・前川健一編『明恵上人夢記訳注』(勉誠出版、2015年、p405~407)で
翻刻・訳注をつけて紹介されています。
ご関心があるかたは、あわせてご参照ください。
(当館学芸員 坂本亮太)