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熊野信仰とは何か(下)

熊野信仰とは何か(下)
 末法の世の到来とともに熊野の神々は、阿弥陀如来(本宮)、薬師如来(新宮)、千手観音(那智山)と重ねられ、その地はそれら神仏の住む現世の浄土と位置付けられた。熊野三山を新たな聖地として成立させた原動力は、山林修行を行った持経者をルーツとする修験者にあった。すなわち熊野への参詣も、山という他界に入り、巡拝して日常の生活に戻る(甦る)、山岳修験の擬死再生の行として行われたのであった。平安時代においては鳥羽上皇が21度、後白河法皇が34度も熊野参詣を行ったが、こういった多数の参詣も、行の回数を重ねることで臈を積む山岳修験の要素である。都から熊野への長い道のりを、先達とよばれる修験者の導きで王子とよばれる行場を巡るのもまた、修験の行である。
 熊野への参詣者は、鎌倉時代以降は各地の武士が中心となり、室町時代ごろには庶民の参詣も増え、蟻の熊野詣ともよばれた。これを支えたのが、各地の修験者が先達として参詣者を導き、山内の御師が宿所を提供する参詣システムであった。また戦国時代には那智参詣曼荼羅が作られ、熊野比丘尼らによって各地で絵解きされその霊験が発信された。
 現在も熊野は、癒しの地、甦りの地として人々の憧れをかき立てる。現在の熊野三山に修験の要素は見いだしにくいかもしれない。しかし熊野の魅力の源泉には熊野修験の歴史があったことを覚えておきたい。(学芸員 大河内 智之)
熊野信仰とは何か(下) 熊野へ参詣する上皇のようす
世界遺産登録5周年記念特別展 熊野三山の至宝―熊野信仰の祈りのかたち―
熊野三山の至宝展あれこれ
和歌山県立博物館ウェブサイト

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