(左)牛馬童子像 (中)頭部が破壊された姿 (右)発見された頭部
頭巾をかぶった修験者が、牛と馬にまたがるという、他に類例のない姿を見せる牛馬童子像。田辺市中辺路町の、近露地区にほど近い箸折峠の路傍に安置されている。隣の役行者像に明治24(1891)年の銘文があり、牛馬童子像も同じごろに造られたとみられる。像高55.2センチと、意外に小さい。
文化財としては新しいものかもしれないが、謎に満ちたその神秘的な姿から、いつのころからか花山法皇の熊野詣の姿と伝承されるようになり、素朴で愛らしい風貌も相まって、世界遺産・熊野古道のシンボル的存在となっている。
平成20年6月18日、本像の頭部が切断され失われるという、痛ましい事件が起きた。ただちに、田辺市と地域住民らによって捜索を行ったものの見つからず、同年10月、同じ石材を用いて頭部を復元し、設置されることとなった。
熊野三山・高野山・吉野山・大峰山とそれらに至る参詣道が、「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産に登録されたのが平成16(2004)年。しかし、聖地と道と景観をも含んだ広大な範囲すべてを、監視したり隔離することは不可能である。世界遺産をいかに守ればよいのか、きわめて難しい問題がいきなりのど元に突きつけられた。
今年の8月16日、酷暑の熊野に朗報が届いた。箸折峠から約11?離れた田辺市鮎川のバス停のベンチに、牛馬童子の頭部が置かれていたのである。奇跡的に失われなかったこの頭部を今後どうするか、まだ結論は出ていない。ただ、頑丈に復元した頭部を取り除くことは容易ではないと思う。極端にいえば牛馬童子を再び破壊する行為ともいえる。
例えば広島の原爆ドームのように、世界遺産には「負の遺産」という一面もある。私見ではあるが、痛ましい記憶を風化させないためにも、世界遺産全体の保全のためのシンボルとしてこの頭部を位置づけ、保存・活用することも一案であろう。牛馬童子が語りかける声なき声に、耳を澄ませたい。(学芸員大河内智之)
・企画展「「文化財」の基礎知識―緊急アピール・文化財の盗難多発中!」(11月13日?平成23年1月10日)
→和歌山県立博物館ウェブサイト