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16日に印南町で現地学習会が開催されました

 3月16日(日)13時30分から印南町公民館で、現地学習会「歴史から学ぶ防災―印南町をフィールドにして―」が開催され、印南町内の方々をはじめ80人の参加がありました。
 まず、主催者を代表して当館鈴木副館長が開会の挨拶を行いました。
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 続いて、4人の方々に報告を行っていただきました。
 印南町文化協会会長坂下緋美さんの「鰹節と宝永南海地震―鰹節伝授の印南漁民三人衆」の報告では、まず鰹節発祥の地とされる印南と印南の漁民が鰹節を伝授したとされる土佐や薩摩、伊豆などの現地調査から、江戸時代にかつお漁によって広範囲に活躍する印南漁民の姿が紹介されました。そのうえで、宝永4年(1707)の地震津波によって、人的・物的に大きな被害を受けた印南では、復興をめざした漁民たちによって、鰹節の製法はその後も伝えられたことから、「どん底でも道は開ける」という教訓も感じた。そんな歴史舞台がこの小さな印南浦にあったと結ばれました。
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 当館主任学芸員前田正明の「印定寺に残る高波溺死霊魂之墓碑」の報告では、宝永地震津波の災害教訓を伝える記念碑は全国的にも珍しい。そのなかで、印南町にある印定寺には、13回忌にあたる享保4年(1719)に作られた「津浪溺死霊名合同位牌」と「高波溺死霊魂之墓碑」とがあり、いずれも貴重な文化財である。なかでも、「高波溺死霊魂之墓碑」は、死者を供養するという意味合いだけでなく、最も人が集まる高札場や寺を基準に津波到達の高さも示しており、「災害の記憶」をより多くの人々に共有させようとする意図もあった。この「高波溺死霊魂之墓碑」をもとに、その後印南浦の人々は、宝永地震津波の「災害の記憶」を伝承しよう日々努力していることが、地元に残された古文書からも明らかになったとしました。
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 神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター研究員木村修二さんの「白浜町富田地区に残る津波警告板」の報告では、宝永地震津波の災害教訓を伝える日神社に残る「津波警告板」が紹介されました。まず、「津波警告板」の内容を現代語訳を交えながら分かりやすく説明され、143年後に発生した安政地震津波の際は、安政地震津波の状況を記した記録からみると、その教訓は必ずしも生かされたとはいえない。「災害の記憶」の風化と我々はたたかわざるをえない。その意味で、近年復活された秋祭りでの富田区長さんによる「津波警告板」の読み聞かせは、大切なことである。さらに、「災害の記憶」を伝える記念碑や古文書などを再発見し、保全すること。記念碑や古文書を生かし続けて、記憶の風化を防ぐことが必要であるとされました。
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 近大姫路大学教育学部講師の松下正和さんの「津波記念碑を活かした防災の取り組み」では、まず津波記念碑について、簡単に説明していただきました。全国的にみても和歌山県内にはたくさんの記念碑が残されている。そのうえで、全国調査を踏まえ、津波記念碑が活用されている県外の事例として、①岩手県宮古市重茂(おもえ)地区姉吉の「大津浪記念碑」、②宮崎県宮崎市木花地区島山の「外所(とんところ)地震供養碑」、③大阪市浪速区幸町3丁目(大正橋東詰)「大地震両川口」津浪記石碑」について、具体的に紹介していただきました。最後に、「災害の記憶」(地域に残った伝承)と記録(記念碑だけではなく地下の災害痕跡や文献資料なども含め)を、祭や避難訓練などの地域行事内で活用し、将来に伝えることも必要だとされました。
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 報告に対する質疑応答のあと、最後に、お忙しいなかご出席いただいた日裏印南町長さんから、今回の現地学習会について、ご感想をいただいき、閉会しました。
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 会場前のフロアーでは、印南中学校教諭の阪本尚生さんが、2005年から実践されている「印南中学校の防災教育」を紹介するパネル展示が行われました。津波研究が始められたきっかけは、2004年12月に発生したインド洋大津波で、大災害を目の当たりにして、印南地区も対岸の火事ではないと思うに至ったからだそうです。当初は印南湾における津波挙動を知ることが目的の科学研究だったようですが、研究のめどがついた6年目からは、研究の蓄積を活かした防災啓発活動に移行してきたそうです。防災という観点から、学校教育の重要性が指摘されていますが、印南中学校の防災教育の実践は非常に貴重なものです。
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 閉会後、希望者を募って行われたワークショップでは、過去の印南町の津波被害では、地震の規模だけでなく、震源地(具体的には高知沖か、串本沖か)によって被害が違ったこと。車での避難は必要な場合もあるが、問題点も多いこと。高齢者など支援が必要な方々の避難のあり方をどうするか。避難の際には、「ここはだいじょうぶ」という考えに頼り過ぎず、より高い所に逃げる方法を考えるべきである、といった意見が出されました。
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 ワークショップのあと、実際に印定寺に行き、最近建てられた津波伝承板や高波溺死霊魂之墓碑を見学しました。
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 また、古文書に記された避難場所である要害山にも登り、当時の避難経路を確認しました。
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 今回は、印南町教育委員会のご協力も得て、大盛況のうち終わることができました。今後も、こうした「災害の記憶」を伝える記念碑・古文書を発掘し、皆さんにお伝えする活動を行っていきたいと思います。また、時間的な制約からあまる触れることができませんでしたが、津波や水害の被害を受ける可能性のある地域に残されている文化財の保全についてもみなさんと考えていきたいと思います。
(主任学芸員 前田正明)
災害記念碑一覧
和歌山県立博物館ウェブサイト

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