大阪・関西万博の関西パビリオンでお身代わり仏像を展示します!
展示テーマ「お身代わり仏像」
出展者 和歌山県立博物館・県立和歌山工業高等学校
展示期間 2025年8月24日~9月3日
お身代わり仏像とは

高野山や熊野といった聖地を擁する和歌山には、大小さまざまな祈りの場が多くあります。そこに伝わる仏像や神像、世界にひとつしかない文化財の数々は、どれも数百年の時をこえて、人々が受け継いできた信仰の対象であり、地域の歴史と文化そのものです。これは、そうした大切なものを、住民のみなさまと博物館と未来を担うこどもたちで力をあわせて守っていこうとするプロジェクトです。

集落の過疎化や高齢化によって管理が困難になる※仏像や神像の複製を地域に安置し、実物は博物館で保管。レプリカのかたちをつくるのは、3Dプリンターの技術を学ぶ県立和歌山工業高等学校産業デザイン科の生徒たちで、着色には和歌山の大学生や地域のこどもたちも挑戦しています。取り組みは2012年から、23カ所44体の仏像や神像にこどもたちが向き合い、地域の歴史を未来につないできました。

※和歌山県では、2010年から翌年にかけての約1年間に60か所の寺社で仏像160体以上、2017年から翌年にかけて70体以上の仏像が盗まれるという、大規模な盗難被害が発生しました。
最近の取り組みのようす(動画・音声なし)
展示する仏像(実物)についての解説
薬師如来坐像
薬師寺(紀の川市)
平安時代(12世紀)
像高57.7㎝
仏教のせかいで「如来」とは、あらゆることを知り、なやむことも迷うこともない、さとりの境地に達した特別な存在です。
この仏像は、左手にくすりのつぼを持っています。和歌山の聖地、高野山をひらいた弘法大師が、みずからつくって人々を流行り病から救ったという言い伝えとともに、大切にされてきました。
釈迦如来坐像
海雲寺(海南市)
南北朝時代・貞和3年(1346)
像高42.3㎝
「釈迦」は仏教をひらいた人、おしゃかさまを意味しています。ともに、お弟子さんの像も伝わりました。お釈迦さまは実在した人物ですが、
この仏像をみると、人間の体とちがった特徴があります。仏教世界の登場人物をあらわした仏像は、その人知をこえたすごさを、ゆたかに想像して、かたちにしました。あふれんばかりの知恵はぽこっと飛び出た頭であらわします。ひとびとをたくさん救う手のひらには、水かきがついています。そしておでこのぽっちは光をはなつというのです。
菩薩形坐像
林ヶ峯観音堂(紀の川市)
平安時代(9世紀)
総高25.9㎝
菩薩というのは、如来を目指して修行中の身にあり、人々を救い続ける者とされています。
この仏像は、両手の先がなくなっていますが、身につけている飾りや衣で、菩薩をあらわしていることは分かります。長い髪は頭上に高く結い上げて、毛先をすこし肩に垂らしています。冠のような飾りやネックレスも細かくてすてきです。すわっているのはハスの花。横からみると、背中が垂直にカットされているので、壁状のところに付けられていた仏像であったと考えられます。
滝尻金剛童子立像
滝尻王子宮十郷神社(田辺市)
平安時代(12世紀)
像高35.8㎝
かぶとをかぶり、よろいをまとって、左に向かって威嚇しています。ポーズは、左手に弓をもち、右手でその弦を引いている姿です。このようなたたかう像も仏像です。
仏教のせかいで、悪い敵から守ることを仕事にしている「天」をあらわしたもののひとつ。和歌山の南の聖地、熊野をめざすひとびとを守る存在として、有名な「熊野古道」に祀られていました。
愛染明王立像
円福寺(紀の川市)
江戸時代(17~18世紀)
像高52.7㎝
仏像の種類のひとつ、「明王」とは、密教という仏教のおしえのなかで信仰される仏です。「天」と同様に仏教のせかいを守り、おしえに従わない人や心をきびしくみちびきます。不動明王が有名です。
この仏像は、はげしく怒るすがたの愛染明王です。頭の上の冠は、なんと獅子(空想上のライオン)のかたち!腕は6本もあって、密教で用いられる道具を手にしていますです。体の色は燃えさかる炎の色、赤い色です。
阿弥陀如来坐像
花坂観音堂(高野町)
平安時代(10世紀)
像高39.6㎝
仏像は金属、木、石など、さまざまな素材で造られますが、山林資源の豊富な日本では、木を用いた仏像製作が発達しました。使用される木材は古くは楠、榧で、平安時代半ば以降は桧が主に用いられるようになります。
この仏像は座った姿の阿弥陀如来ですが、組み合わされた部品を外した状態で示しています。上の図が頭と体を一本の桧の木を彫って作った部品です。下の図はあぐらをかくように座る両足と、その上に両手が取り付けられた部品です。多くの仏像は、このように飛び出た部分を別材で作って組み合わせるなど、効率的に作られています。
仏頭
横谷区茶所 (紀の川市)
平安時代(12世紀)
総高23.5㎝
この仏像は、頭上に肉髻をあらわした如来の頭だけが、蓮の花びらを組み合わせて作った台の上に乗っているものです。首の部分には焦げた痕跡があり、火災に遭って体部を失い、頭部だけが残されたものと考えられます。そんな状態になっても、大切に守り伝えられてきたのです。
仏像は信仰の対象であることで、長く守り継がれる可能性の高い文化財です。何百年も前のものが残されていることも珍しくありません。そのような、地域に残る仏像を調べることで、蘇る歴史があります。仏像を守り伝えることは、私たちの歴史を守り伝えることといえるでしょう。
丹生明神坐像
三谷薬師堂(かつらぎ町)
鎌倉時代(13世紀)
像高42.3㎝
高野山のふもと、かつらぎ町に伝わった丹生明神という名前の神様の像です。女性の神様のようですね。鎌倉時代初期、今から800年ほど前に作られました。
額の上に花の飾りのある冠をつけています。かわいらしく華やかに美しい姿があらわされています。身にまとっているのは、中国風のお召し物です。中国から日本へ仏教が伝わってきたことと、こうした神様のすがたかたちは、深く関係しているのです。
僧形坐像
安楽寺(日高川町)
南北朝時代 正平11年(1356)
像高34.9㎝
坊主頭の僧侶のすがたであらわされた神さまの像です。袈裟という、お坊さんの衣をまとっています。日本に仏教が伝来したのち、日本古来の神と仏はまざりあって信仰されるようになりました。この像の底には「勢至菩薩」という仏の名前が書かれています。僧のすがたで現れた神、その本当のなまえは「勢至菩薩」だ、と考えているようです。
この像はかつては日高川町の寒川神社にまつられていましたが、現在は近くの安楽寺に伝わる神像です。像の底に、「正平11年3月7日」という日付が墨でかかれています。
童子形坐像
安楽寺(日高川町)
正平11年(1356年)
像高32.3㎝
これも日高川町の安楽寺に伝わった神像で、岩の上に座った姿に表されています。この像の底にも、僧形坐像と同じ正平11年3月7日の日付が書かれており、1356年ごろに作られたことがわかります。
頭の左右で、髪の毛を角の形に結った総角という髪型に表されています。体には襟の少し立った袍という衣をまとって、両手先は衣の中に隠しています。この総角という髪型や、耳の横で髪をくくる美豆良という髪型は、成人する前の童子の姿を表すものです。神聖な存在とみなされた童子の姿の神像は、神の力が若々しく清らかなことを表しています。
会場に展示されている仏像は、高校生や大学生が製作したレプリカです。3Dプリンターの技術や、着色のテクニックに磨きをかけて、丁寧に取り組み、実物ともよく似ています。
ふだんは和歌山県立博物館のエントランスで、視覚に障害のある方もさわって仏像のことを知っていただける「さわれるレプリカ」として展示しています。
ひと味ちがう顔が見られるかもしれません。ぜひご覧ください!
