現在の紀の川市粉河の東部には、中世において、東村と呼ばれる村がありました。この村は、鎌倉時代の終わり頃から、農民たちが自分たちの手で農業用の溜め池を築造していたことが知られています。この写真の古文書は、既存の水田を潰して中五谷池という溜め池を築造した際、従来、水田に課せられていた租税を免除するよう求めた東村の農民たちに対し、粉河寺がそれを認めた証文です。東村では、この他にも、農民たちが自分たちの田地を溜め池の用地に提供して溜め池を築造したということが分かる史料などがあり、鎌倉時代の終わりから南北朝時代にかけて、農民たちが集中的に溜め池の築造を進めていたことが分かります。
ところで、この古文書に記された中五谷池という溜め池は、現在も紀の川市東野の山あいに現存しています。ただ眺めるだけなら、何のことはない、どこにでもあるごくありふれた溜め池の風景ですが、鎌倉時代に農民たちが築いたことが史料的に明確に裏付けられる溜め池が、現在も残されている事例は全国的にもきわめてめずらしく、貴重な文化的景観と言えます。(学芸員 高木徳郎)