今日は、コラム「野呂介石の生涯」の7回目です。
7 紀州を描く―真景(しんけい)と豊かな山水
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和佐真景図(わさしんけいず) 野呂介石筆 文化3年(1806) 個人蔵
中国の文化にあこがれていた江戸時代の文人たちにとって、中国の絵や詩に表現された名勝は、本場中国の絶対的な風景でした。日本の画家たちが描く山水図の多くが中国風であるのは、そのためです。しかし、江戸時代の中期ごろになると、日本の中にも、中国の名勝に相当するような奇勝や絶景があることを自覚し、日本の風景を題材とした「真景図(しんけいず)」と呼ばれる絵が描かれるようになります。文人たちはそうした真景図を描くために、実際に日本各地の名勝を訪れたのですが、なかでも、豊かな自然が生み出した絶景や奇勝に恵まれた紀州は、こうした文人たちに、格好の画題を提供しました。
その紀州出身の介石は、松山方(まつやまかた)や銅山方(どうざんかた)という仕事がら、紀伊山地の奥地へ分け入る機会がとくに多かったようです。そのため、介石は熊野や吉野などの景観や奇勝を積極的に題材とし、現地を訪れた際のスケッチのような作例や、実景に基づく絵をしばしば描きました。また、介石は和歌山周辺の身近な名勝へ、友人とともに訪れた際の感動や景観も意欲的に絵画化しています。「和佐真景図」は、そうした真景表現と景観への感動が見事に融合した、介石の紀州を描いた名品です。
このような、同じ紀州を題材とした作品の多様性こそ、地元紀州を知りつくした介石ならではの作品といえますが、そうした作例からは、介石が中国絵画から学んだ表現方法を、真景図の中にうまくいかしていったこともうかがえるのです。(学芸員 安永拓世)
→特別展 野呂介石
→和歌山県立博物館ウェブサイト