和歌山県立博物館友の会マイミュージアムギャラリー
第19回展示 「鷹島の石―明恵上人の遺跡を訪ねて―」
【出 陳 者】 小松 進
【展示期間】 平成22年6月12日(土)?8月6日(金)
【出陳資料】 鷹島の石 (採集時期:平成22年(2010))
【資料をめぐる思い出】
「明恵上人が修行した鷹島を訪ねたのは、今年の五月。天気がよく波も穏やかで、樹上座禅像などに描かれた明恵上人の姿を思い浮かべながら、船で島に渡りました。
無人島のため道はなく、鎌で木を伐りながら、落葉で滑りやすい斜面を苦労しながら登って、半畳より広く礎石らしきものがある明恵上人の修行場というところへ到着。
帰り道、用心していたものの、蔦に足を取られて見事に転んでしまいました。幸い怪我なく大事にならなかったのは明恵上人のおかげと感謝し、上人の「鷹島石」を思い出し、これらの石を拾って持ち帰ったのでした。」
【学芸員の一口メモ】
有田地域出身の高僧・明恵(1173?1232)は、京都・高山寺を復興し、華厳教学を興隆させ、多くの人々の尊崇を集めました。明恵はしばしば有田地域に隠遁し、建久6年(1195)、23歳の時には、白上峯(現湯浅町)に草庵を建て、厳しい仏道修行にうちこんでいます。自らの志を確かめるため、右耳の一部を切ったのもこの地です。
その草庵から湯浅湾を眺めると、湾内に苅藻島・鷹島・久礼島が見えます。釈迦如来を父と仰いで思慕した明恵は、はるかインドとつながる海の水に洗われた鷹島の石を、釈迦の形見と思って拾い座右に置いたのでした。現在高山寺に伝わるその鷹島石に明恵は、次の和歌を記しています。
われ去りて のちにしのばむ人なくは
飛びて帰りね鷹島の石 (明恵上人歌集)
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