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スポット展示「みかんの花」

先月からはじまった「スポット展示 季節のしつらい」。
スポット展示については→こちらをご参照ください。
2回目の今回のテーマは
みかんの花
【会期:2010年6月12日(土)?7月10日(土)】
スポット展示(みかんの花)展示状況(軽)(画像をクリックすると拡大します)
 みかんの花は、5月から6月ごろに咲く花で、夏の季語にもなっています。紀伊国では、江戸時代からみかんの栽培がさかんで、この時期、とくに有田(ありだ)地方の山々などは、みかんの花の芳しい香りと白い花に満ちあふれます。
 また、現在の暦(太陽暦(たいようれき))の6月は、旧暦(太陰暦(たいいんれき))の5月に相当し、文字通り「五月雨(さみだれ)」すなわち梅雨(つゆ)の季節でもあります。今年は6月11日が入梅(にゅうばい)です。
☆5月の異名
皐月(さつき)・仲夏(ちゅうか)・吹雪月(ふぶきづき)・鳧鐘(ふしょう)・月見ず月(つきみずづき)・橘月(たちばなづき)・田草月(たぐさづき)・蕤賓(すいひん)・賤間月(しずまつき)・早苗月(さなえづき)・鬱林(うつりん)・蒲月(ほげつ)
☆6月の異名
水無月(みなづき)・季夏(きか)・晩夏(ばんか)・林鐘(りんしょう)・風待月(かぜまちづき)・涼暮月(すずくれづき)・夏越の月(なごしのつき)・炎陽(えんよう)・小暑(しょうしょ)・鳴雷月(なるかみづき)・常夏(じょうか)・伏月(ふくげつ)
以下は展示資料の解説です。
?密柑山図 岡本緑邨筆
(みかんやまず おかもとろくそんひつ)
密柑山図(夏) 岡本緑邨筆(軽)(画像をクリックすると拡大します)
   双幅のうち1幅
   絹本著色
   江戸時代 文久元年(1861)
   縦47.4? 横56.5?
 白いみかんの花が咲くみかん山を描いた絵です。紀伊国では、江戸時代からみかんの栽培がさかんで、とくに有田地方がみかんの産地として有名でした。また、当時流行した紀州みかんという品種は、現在一般的な温州(うんしゅう)みかんと異なり、実に種があったため、子孫繁栄(しそんはんえい)を象徴するとして人気がありました。
 筆者の岡本緑邨(1811?81)は、紀伊国出身の画家で、この絵も、紀伊国ゆかりの主題といえるでしょう。なお、この絵は、実をつけたみかん山を描いた秋の絵とセットになっています。
?南紀男山焼 染付荒磯文水指
(なんきおとこやまやき そめつけあらいそもんみずさし)
南紀男山焼 染付荒磯文水指(軽)(画像をクリックすると拡大します)
    1口
   江戸時代(19世紀)
   高16.8? 口径15.9?
 水指とは、茶道の茶席(ちゃせき)で使うための新しい水を入れておく器(うつわ)です。白地に青色で文様をあらわす染付という技法で、荒れる波と、波間に跳(は)ねる鯉(こい)を描いています。
 こうした文様は、荒磯文と呼ばれ、鯉が激流(げきりゅう)をさかのぼって竜(りゅう)になったという登竜門(とうりゅうもん)の故事(こじ)を意匠化した、おめでたい文様です。登竜門が端午(たんご)の節句(せっく)の「鯉のぼり」にもつながり、また、荒れた波は五月雨(さみだれ)で増水した川などを想起させることから、荒磯文は、旧暦の五月とゆかりの深い文様でもありました。
参考解説
南紀男山焼(なんきおとこやまやき)とは
 南紀男山焼は、文政10年(1827)に紀伊藩の許可を得た崎山利兵衛(さきやまりへえ、1797?1875)が、有田郡広村(ありだぐんひろむら)の男山(おとこやま)の麓(ふもと)(現在の広川町上中野(ひろがわちょうかみなかの)にある広八幡神社(ひろはちまんじんじゃ)の裏山)で焼かせたやきものです。窯(かま)を開くにあたっては、京都の陶工(とうこう)である尾形周平(おがたしゅうへい、生没年未詳)や、肥前国有田(ひぜんのくにありた)(現在の佐賀県西松浦郡有田町(にしまつうらぐんありたちょう))の陶工を招いて、技術指導を受けたとされます。初期は、殖産興業政策(しょくさんこうぎょうせいさく)の一環として、藩の全面的な支援があり、紀伊藩10代藩主・徳川治宝(とくがわはるとみ、1771?1852)の意向が強く反映されましたが、治宝没後は藩の方針が変わり、安政3年(1856)には崎山利兵衛に払い下げられ、明治11年(1878)に廃窯(はいよう)となりました。
今回のスポット展示は7月10日までです。
ぜひ、博物館へお越しの際には、2階のスポット展示をご覧ください。(学芸員 安永拓世)
→和歌山県立博物館ウェブサイト

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