今日(10日)、午後1時30分から、ミュージアムトークを行い、10人の方に参加していただきました。
(金剛力士像の前での展示説明)
(金剛力士像の展示風景)
(金剛力士像方座底面の墨書銘)
(摧薪録〈部分〉、安楽寿院蔵)
摧薪録には、この康正(1534?1621)作とされる金剛力士像(安楽寿院蔵)にかかわる逸話がのせられています。
それによれば、昔、覚栄(??1622)が高野山で金剛力士像を造らせたことがあり、安楽寿院にある「五十分ノ一像」の模像はこの金剛力士像と関係する、と記されています。
(高野春秋の慶長9年6月21日条)
確かに、高野春秋には、慶長9年(1604)に高野山大門の落慶供養が行われた記事があり、願主は竹田遍照院覚栄で、作者として康正のほか七条仏師の名前が記されています。
(本朝大仏師正統系図幷末流〈部分〉、京都国立博物館蔵)
本朝大仏師正統系図幷末流の康正の項にも「慶長九年甲辰四月高野大門二王一丈六尺」とあり、康正が大門の仁王像制作にかかわっていることが記されています。
したがって、摧薪録に記された逸話はまったくの創作話ともいえないようです。
この金剛力士像が制作される背景として、覚栄が勧進する際に使用する雛形として、康正が制作したものである可能性も指摘されており、仮にそうであるならば、覚栄と康正(七条仏師)との親密な関係を示す貴重な物的証拠といえるでしょう。
(【解説】) (【かんたん解説】)
なお、展示品には、すべての展示品につけた【解説】のほか、17か所には【かんたん解説】もつけています。
覚栄と七条仏師康正については、特別展図録に、当館大河内学芸員執筆のコラム(「覚栄と七条仏師康正」)が掲載されていますので、あわせてご覧ください。
明日(11日)の午後1時30分から、博物館のとなりの近代美術館の2階ホールで、博物館講座「悪党が去ったあとの?あらかわ?」(講師・当館学芸員坂本亮太)を行います。事前の申し込みは要りませんので、振るって、ご参加ください。なお、講演会終了後に、ミュージアムトークも行います。
(主任学芸員 前田正明)
→和歌山県立博物館ウェブサイト
→特別展 京都・安楽寿院と紀州・?あらかわ?