今回の「箱と包みを開いてみれば―文化財の収納法―」のコラムでは、
「昔の本は平置き」について、ご紹介しましょう。
日本や中国の昔の本は、典籍(てんせき)と呼ばれます。現在の本のような、かたい表紙や背表紙がないので、立てて置くことができませんでした。そのため、本を平らに置いたまま、積み重ねて置くのが、一般的な収納方法でした。このような典籍をまとめて収納する箱を「函(はこ)」と呼び、函の中には、典籍を積み上げておさめました。
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上に挙げたのは、現在の紀の川市桃山町にある興山寺という寺院に伝わった聖教函です。聖教とは、寺院に伝わっているお経をはじめとする仏教関係の典籍のことで、寺院に伝わった典籍をおさめる函を、聖教函と呼びました。この函の中には、『豊臣秀吉譜』など70冊の典籍が収納されています。なお、本の題名は、函の中に平積みしても見えるように、本の下側面に書かれるのが一般的でした。
一方、こうした大きな函だけでなく、数冊がセットになった本を保護して収納するための、ブックカバーのような、「帙(ちつ)」と呼ばれる包みもありました。
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上に挙げたのは、畔田翠山(くろだすいざん、1792-1859)という、江戸時代後期に活躍した紀伊藩の本草学者が書き写した本です。本草学とは、東洋の医学や薬学にかかわる植物や生物・鉱物などを調べる学問を指します。翠山は、みずからの研究のために、さまざまな文献を書き写したようです。
写真の左下の赤い包みが「帙」で、厚紙に裂(きれ)を貼って作られています。帙を広げると、上のようになります。
帙は、本自体が傷むのを守るとともに、本を飾るという役割もありましたが、さらに、もう一つ、セットになった本がバラバラになるのを防ぐという機能もありました。帙は、セットになった数冊の本の高さにあわせて、正確に作られているので、中に入れる本が変わったり、あるいは冊数が増えたり減ったりすると、すぐにわかってしまいます。日本の典籍は、上中下など数冊でセットになった本も多かったため、これらが失われないような工夫もされているのです。(学芸員 安永拓世)
→企画展 箱と包みを開いてみれば―文化財の収納法―
→和歌山県立博物館ウェブサイト