企画展「江戸時代の紀州の画家たち」の関連コラム
「紀州の画家紹介」
3回目にご紹介するのは、岩井泉流(いわいせんりゅう)です。
岩井泉流(いわいせんりゅう)
◆生 年:正徳4年(1714)
◆没 年:明和9年(1772)1月6日
◆享 年:59歳
◆家 系:江戸の具足師である岩井八郎左衛門宗意(いわいはちろうざえもんそうい、生没年未詳)の長男
◆出身地:江戸
◆活躍地:江戸・紀伊
◆師 匠:未詳(江戸の木挽町狩野(こびきちょうがのう)?)
◆門 人:岩井源八(いわいげんぱち、生没年未詳)(長男)
岩井養山(いわいようざん、1763~95)(二男)
◆流 派:狩野派(木挽町狩野?)
◆画 題:人物・花鳥・走獣など
◆別 名:貞竹・久宗
◆経 歴:紀伊藩のお抱え絵師。元文元年(1736)、紀伊藩六代藩主の徳川宗直(とくがわむねなお、1682~1757)から、「御絵御用」として登用され、銀10枚5人扶持をもらう。元文4年(1739)、切米15石となる。寛延元年(1748)、切米25石に加増。宝暦元年(1751)、「御針医並」となり、切米30石に加増。宝暦14年(1764)に一時解雇されるが、明和2年(1765)に帰参し、10人扶持となる。明和3年(1766)、「御針医並」、切米30石5人扶持に戻り、「御近習」にもなる。主に、江戸で活躍したとみられるが、紀三井寺や丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)など紀州の寺社にも作例が残る。
◆代表作:「文王・麒麟・鳳凰図(ぶんおう・きりん・ほうおうず)」(和歌山県立博物館蔵)、「繋馬図絵馬(つなぎうまずえま)」(丹生都比売神社蔵)明和8年(1771)、「布袋図(ほていず)」(和歌山県立博物館蔵)など
今回展示しているのは、泉流の代表作である「文王・麒麟・鳳凰図」(和歌山県立博物館蔵)です。
(以下、いずれも画像をクリックすると拡大します)
款記はいずれも「泉流筆」で、印章は「岩井」(朱文方印)です。
岩井泉流は、江戸の狩野派で学んだ画家ですが、どのような師についたかは、よくわかっていません。ただ、泉流の息子である養山は狩野典信(かのうみちのぶ、1730~90)に学び、また、孫の泉舟(せんしゅう、?~1849)は狩野栄信(かのうながのぶ、1775~1828)に学び、いずれも江戸の木挽町狩野(こびきちょうがのう)の画家に師事したという記録がありますので、泉流自身も、木挽町狩野と何らかのかかわりがあったと思われます。この絵に描かれているような麒麟や鳳凰といった主題は、狩野派が得意とした主題であり、この絵は、泉流がそうした狩野派の画技をしっかりと身につけていたことをよく示しています。
なお、泉流は主に江戸で活躍していたと思われますが、一時、お抱え絵師を解雇になりました。どのような経緯で解雇になったのかはわかりませんが、この解雇になっていた間に、大坂の堺へ行き、町絵師として活躍していたという伝承もあるようです。泉流の作品は、紀州の狩野派の画家の中では、比較的多く残されていますが、そうした作例の中には、狩野派風ではない作品も残されています。あるいはこうした一時解雇になっていた時期に、狩野派風の絵に限らず、さまざまな主題を描いたのかもしれません。
ちなみに、和歌山県内の寺社に残る泉流の代表作としては、丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)の「繋馬図絵馬(つなぎうまずえま)」4面が、泉流の最晩年の作品として重要です。ただ、それ以外にも、紀三井寺の本堂にある天井画の巨大な「龍図」が、泉流の作としてよく知られています。この天井画の龍図には、泉流の款記や印章がありませんが、画風などから考えて、泉流筆である可能性は高いといえるでしょう。この紀三井寺の天井画は、本堂にお参りすれば、誰でも見上げて鑑賞することができますので、ご興味のある方は、ぜひ、博物館とともに、紀三井寺も訪れてみてください。(学芸員 安永拓世)
→江戸時代の紀州の画家たち
→和歌山県立博物館ウェブサイト