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コラム4 七福神図・幽泉下絵

今回は、おめでたい絵からです。
10 七福神図 真砂幽泉筆 館蔵
七福神図 真砂幽泉筆(しちふくじんず まなごゆうせんひつ) 一幅
絹本著色
江戸時代(18~19世紀)
和歌山県立博物館蔵
 幸福をもたらす七人の神様の絵です。メンバーは、右から福禄寿(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうじん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・恵比寿(えびす)・大黒天(だいこくてん)・布袋(ほてい)・弁才天(べんざいてん)。皿にのった鯛と宝珠を囲んで楽しそうな様子です。周りには、松や竹が生えています。絹に、赤や青など多くの色を使って、丁寧に描いています。幽泉の絵の魅力は、この絵のように、まじめで上手だけれども、少しかわいらしさがあるところなのではないでしょうか。
 さて、実は、真砂家に伝わる江戸時代のノートの中には、この絵とそっくりな絵が描かれています。
七福神図粉本(冊子「禁他借」より)個人蔵
下絵・絵手本類のうち冊子「禁他借」伝 真砂幽泉筆 一冊
(したえ・えてほんるいのうち さっし「きんたしゃく」  でん まなごゆうせんひつ)
紙本墨画/紙本著色
江戸時代(18~19世紀)
個人蔵
 
 このページには、七福神のうち三人が描かれており、残りの四人は、前のページにすけて見えています。真砂家には、596点もの貴重な下絵や手本が伝わりますが、その中で、この資料だけが冊子形をしており、表紙には「他人に貸してはいけない」という旨の文言が書いてあるます。大切な「ネタ本」だったのでしょうか。
 幽泉さんは、20歳ごろに、京都から田辺へ帰ってからも、絵の勉強に励みました。真砂家には、京都にいる絵の先生とやりとりした手紙や、薄い紙に絵をぎっしりと描いた巻物、屛風や襖などを実物と同じ大きさで写した絵など、596点もの資料が伝わっています。これらは、昔の人がどのように絵を勉強したのかがわかる、たいへん貴重な資料です。
 また、真砂家には、幽泉が京都で習っていた鶴沢探泉・式部(探春)や、狩野春甫・春興からの手紙が、52通も残っています。これらの手紙から、幽泉は、田辺に帰ってからも、お手本を取りよせて、絵の練習に励んでいたことがわかります。
 もう1点、下描きと完成作品のセットをご覧いただきましょう。
大和耕作図下絵 個人蔵
下絵・絵手本類のうち「大和耕作図屛風」(やまとこうさくずびょうぶ)伝 真砂幽泉筆 12枚
紙本墨画
江戸時代(18~19世紀)
個人蔵
 六枚折り・二つで一組(六曲一双)の屛風の下描きです。全部で12枚の、墨で描いた絵が封筒に入っています。
大和耕作図下絵(たたんだ様子) 個人蔵
絵の裏には「右壱」~「左六」と、並べる順番をメモしています。大きな絵を描くときは、このような、実物と同じ大きさの下描きを作りました。
最後には、こんなふうにきれいに色を付けて仕上げ、龍泉寺という田辺のお寺に納めました。
大和耕作図屛風 真砂幽泉筆 左隻 龍泉寺蔵
大和耕作図屛風 真砂幽泉筆 六曲一双のうち左隻
紙本著色
江戸時代(18~19世紀)
龍泉寺蔵
 下描きと変えたところもあります。左から二枚目を見くらべてみてください。下描きにはいたニワトリが、完成作ではいなくなっています。やっぱりここにニワトリがいるとバランスが悪いと思ったのか、それとも注文主からNGが出たのか。色々なことが考えられます。
 こんな変化がわかるのは、下描きと完成作両方が遺っているからこそ。絵画の制作背景がリアルに伝わってきて、とても面白い資料です。
(学芸員 袴田舞)

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