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仏説盂蘭盆経便蒙(館蔵品978)

仏説盂蘭盆経便蒙(館蔵品978)
978仏説盂蘭盆経便蒙
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【基本情報】
・江戸時代(17世紀) 紙本墨刷 縦27.0㎝ 横19.0㎝
【内容】
本書は、「(仏説)盂蘭盆経」を初学者のためにわかりやすく説明した版本です。
外題には「盂蘭盆経」、内題には「仏説盂蘭盆経便蒙」とあります。
冒頭に「南紀浄福寺主法印恵空寓洛東正立寺集」とあり、浄福寺(和歌山市)の恵空に関わる書物であることがわかります。
末尾には、「恵岳」と書いたものを塗りつぶした箇所があり、名前から判断すると、
恵空の弟子の可能性も考えられます。
冒頭のほか、一部に書き込みの墨書が見られ、本書の所有者(恵岳か)の勉強の様子も知ることができます。
本文では、漢文の「盂蘭盆経」を記した後、漢字かな交じり文でその意味を
恵空がわかりやすく解説するという構成になっています。
また、本書には挿絵も見られ、餓鬼(母)に施しをする目連尊者を描いた絵などもあります。
西晋の竺法護が訳した「盂蘭盆経」は、目連尊者が餓鬼となった母親を救う手段を仏に尋ね、
自恣の日(7月15日)に仏僧に供養することが亡父母を苦患から救うことになると説き、
盆行事の起源を語るものとなっています。
本書の著者である恵空が住持をつとめた浄福寺は、和歌山市北新町にある天台宗寺院です。
『紀伊続風土記』によると、もとは大工町にあった浄土真宗の道場で、
慶長17年(1612)に浄福寺という寺号を得て、寛文6年(1666)に天台宗に改宗し
和歌浦雲蓋院(和歌山市)の末寺となり、同11年に現在地に移されたようです。
『紀伊続風土記』には、「当寺の諸堂皆寛文中の住職覚賢恵空の建立する所なり」ともあり、
本書を著した恵空が浄福寺の再興にも大きく関わっていました。
恵空(1643~1691)は、寛永20年(1643)に浄福寺開山正覚祐俊の二男として生まれ、
初めは浄福寺にいましたが、後に京都正立寺(現在地不明)・真如堂(京都市)の住持となり、
元禄4年(1691)に49歳で死去しました。
『紀伊続風土記』によれば、
「恵空は学僧として著述の書多く世に行はる、十五歳の時、実語教・童子教の注釈を著す、其聡敏知へし」とあり、
多くの著作を残した学僧であったことがわかります。
恵空は、「元亨釈書和解」「節用集大全」「徒然草参考」「法音抄」など、
仏教書のほか、随筆・辞典・謡曲の解説書約20点ほどを、15歳の時から著しています。
「仏説盂蘭盆経便蒙」は、宝永7年(1710)の「弁疑書目録」に恵空の著作として掲載されていますので、
江戸初期には既に刊行されていたようです(中田祝夫「紀州浄福寺恵空という学僧について」)。
なお「仏説盂蘭盆経便蒙」は、版本ではありますが、『国書総目録』には掲載されていない稀覯書です。
江戸時代の和歌山(城下町)に、このような学僧がいたがわかる点も非常に重要です。
(当館学芸員 坂本亮太)

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