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鷲峰開山法灯円明国師法語(館蔵品1084)

鷲峰開山法灯円明国師法語(館蔵1084)
1084鷲峰開山法灯円明国師法語(表紙)(表紙) 1084鷲峰開山法灯円明国師法語(巻首) (巻首) 1084鷲峰開山法灯円明国師法語(奥書2) (巻末)
※画像はいずれもクリックで拡大します。
【基本情報】文明14年(1472)写、縦26.4㎝ 横18.6㎝、袋綴装(21丁)
【内容】
法燈国師(無本覚心、1207~98)は、鷲峰山興国寺(由良町)の開山で、臨済宗法燈派の祖です。
覚心は、信濃神林郷郷(長野県松本市)の神主の家に生まれ、
後に東大寺(奈良市)や高野山(高野町)、長楽寺(群馬県尾島町)で修行しました。
修行中には、高野山で真言宗を学んだのをはじめ、
道元、栄西の弟子退耕行勇・栄朝などのもとで禅宗も学びました。
その後、中国・宋に渡り、金山寺(径山万寿禅寺)などを回りつつ6年間仏教を学び、
帰国したのちは高野山禅定院・金剛三昧院の住持となりました。
さらに葛山景倫(願性)に請われて西方寺(のちの興国寺)の開山・住職となり、
92歳で亡くなるまで主に紀伊で暮らしました。
覚心は亀山上皇に招かれ京都で禅要を説くなど、天皇・上皇からの帰依も篤いものがありました
(以上、館蔵「紀州鷲峰開山由良法灯円明国師之縁起」による)。
この資料は、鷲峰(=興国寺)開山である法灯国師(覚心)が禅について
庶民や弟子たちに対して説いた言葉をまとめた法語(仏教を大衆に向かって平明に説いたもの)です。
「法灯国師法語」については、
正保年間(1644~48)に版本として流布したものがよく知られています(『大日本仏教全書』に収録)。
そのほか「無名冊子」「禅宗法語」など、
別本の法灯国師法語5種類の存在が知られていますが(椎名宏雄「六地蔵寺所蔵「無名冊子」について」)、
この資料は、そのいずれとも本文内容が異なる点に特徴があり、新出の法灯国師法語となっています。
本文には朱による訓点が施され、所々に別筆で訂正なども記されています。
冒頭には「尾張妙興蔵」「妙[   ]」「安谷拾葉文庫」の印が押され、
臨済宗妙心寺派の尾張妙興寺(愛知県一宮市)旧蔵であったことがわかります(「安谷拾葉文庫」は不明)。
安谷文庫印 尾張妙興寺蔵書印1 尾張妙興寺蔵書印2
本書末尾には「賀茂大夫」とありますが、黒く塗りつぶされています。
賀茂大夫がどのような人物であるのか、また抹消された時期・契機についてもわかりません。
1084鷲峰開山法灯円明国師法語(奥書1) (末尾1)
※クリックすると画像が拡大します。
本文は
 ①阿難と迦葉(公案提撕のはじまり)、
 ②達磨大師(禅宗の繁昌)、
 ③栄西(日本における禅林のはじまり)、
 ④弘法大師入定の話、
 ⑤坐禅・修行・心の重要性、
 ⑥役行者の著衣の謂われ、
 ⑦金山寺の饅頭と木魚、
 ⑧先師の得道と「無」字・公案のことなど)
の8つの話にまとめられていますが、各項目に題などはつけられていません。
いずれも中国・日本の寺僧の故事を中心に、禅の始まり・流布・重要性を説く内容になっています。
なかでも役行者や弘法大師、栄西なども引き合いに出して触れられる点に特徴があります。
例えば、役行者は金山寺で修行したあと帰国し、
国一禅師の教えに従って「紀伊国室ノ郡苔ノ小路入給」「大峯・熊野ト現玉フ」と記されます。
また弘法大師が弥勒出世を待ち奥之院に入定することも、禅法の奇特とされています。
本文中には「エガラ(荏柄ヵ)ノ比丘尼」、由良に参禅した「武蔵野聖人弟子空法」、
「那須ノ長老」「鎌倉寿福寺木魚」など、東国の地名・人名が表れる点も特徴的です。
東海地方・東国への布教の様子を伝えるものかもしれません。
作成・伝来など不明な点(今後研究を深めていく点)はありますが、
新出の「法灯国師法語」として今後重要な資料となるのではないかと思います。
長文になるので、何か機会(発表媒体)をみつけて翻刻文を紹介したいと思います。
(当館学芸員 坂本亮太)

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