本年度新たに寄贈いただいた資料を紹介します。熊野勝景図という資料です。
ご先祖が和歌山出身という、大阪の個人のかたからご寄贈いただきました。系譜を調べると、先祖は恐らく紀伊藩士の杉山氏で、熊野勝景図写のほか、道成寺縁起写、杉山森左衛門手判、花鳥図などもご所蔵されており、これらもあわせてご寄贈いただきました。
熊野勝景図写は、名称からもわかるとおり、熊野のすぐれた景色を描いた絵画をまとめた画帖です。表紙には、「原本々町瀧野某所蔵/明治三十三年庚子秋八月藹如写/琴泉岩瀬広隆画熊野勝景 天/五拾枚内」とあり、岩瀬広隆(1808〜77)が描いた熊野勝景図を明治33年(1900)8月に写したものといいます。縦34.6㎝、横65.3㎝の大きな紙(横に3枚貼り継ぐ)を右はじで綴じた帳面仕立て(全50丁)になっています。
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絵の左端に「新宮神倉」「九里八丁ノ内大野口」などと画題を書くものもあり、前半は新宮から本宮に至る熊野川流域の風景(新宮神倉~丸山亀石)、中間は紀南の沿岸部の風景で、橋杭岩(串本町)なども描かれています。また、富士山と思われる山が描かれているのも興味深いものがあります。現在、富士山最遠望の地として、那智勝浦町の妙法山や色川小麦峠(富士見峠)が知られています。ここに描かれる富士山も熊野からのものと思われ、19世紀頃には既に熊野において富士山が見えることが知られ、なおかつ絵に描かれていたことがわかり注目されます。後半には、那智瀧や大馬山(三重県熊野市)などの瀑布を描いた絵をまとめています。これまであまり取り上げられることのなかった画題などのあることが注目されます。
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各絵に「広隆」と署名があり、なかには落款(瓢箪型朱印「琴泉」)を写したものもありますが、現存する岩瀬広隆の作品のなかで、本資料と同じ落款は確認されていません(『岩瀬広隆-知られざる紀州の大和絵師-』和歌山市立博物館、2008年)。そのため、岩瀬広隆の絵が原図で、それを写したものかどうかは、少し慎重に考えてみる必要があります。
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ただし岩瀬広隆は『紀伊名所図会』の資料採集のために、その編纂に関わった熊代繁里・加納諸平らとともに、弘化4年(1847)に熊野地方を歴遊しており、熊野をめぐり、熊野の絵を描いていたことは間違いありません。実際に岩瀬広隆が熊野の風景を描いた作品も複数伝わり、当館でも九里峡図2巻(館蔵1191)などを所蔵しています。落款の問題を含め、原図は署名や表書きのとおり岩瀬広隆とできるかどうか、さらなる検討が必要です。とはいえ、岩瀬広隆の作品かどうかはともかく、江戸時代~明治時代の熊野地方の風景が描かれた絵画作品としては、注目すべきものといえるでしょう。
引き続き類例など調査を進めていきたいと思います。
