左:弘法大師十大弟子及び真然・定誉像のうち真然像
右:地蔵院流道教方先師像のうち真雅像
江戸時代に高野山増福院の第39代住職を務めた秀龍という僧侶の生家に、高僧の肖像画が多数伝わっている。それらを通じて、高僧の肖像画の本質的な意味について「深読み」してみたい。
弘法大師十大弟子及び真然・定誉像という12幅の肖像画がある。これは弘法大師空海の高弟、真済・真雅・実恵・道雄・円明・真如・杲隣・泰範・智泉・忠延の10人と、空海の後を受けて高野山造営に尽力した真然、平安時代中期に荒廃した高野山を復興した定誉の姿を描いたものである。この肖像画の元図は、高野山上の御影堂内壁に描かれている。
弘法大師十大弟子はそれぞれ空海より直接教えを受けた僧であるが、祖師に仕える10人の弟子の絵が示す本質とは何だろうか。深読みすると、それは祖師を頂点とする階層性社会、すなわち教団組織を象徴すると言える。そして真然・定誉はともに高野山の伽藍造営にかかわっているから、こちらは高野山の伽藍を象徴していると言える。僧侶の肖像画は教団と伽藍を示す暗喩でもあると言えそうである。
次に地蔵院流道教方先師像を見てみたい。これは真言宗における多数の流派のうち、地蔵院流道教方の歴代僧侶を描いたもので、真雅・源仁・聖宝・観賢・淳祐・元杲・仁海・成尊・義範・勝覚・定海・元海・実運・勝賢・成賢・道教からなる。密教では師から弟子へと教えを引き継ぐ儀式を灌頂(かんじょう)といい、頭の上(頂)から水を注(灌)ぐように、師の知識や経験、記憶は弟子へと受け継がれる。その際には、教えを受け継いできた歴代僧名を記した系譜「血脈(けちみゃく)」が与えられる。本図は血脈を絵画化したものである。
この歴代先師の肖像は、僧侶が受け継いだ教義の道程を示すものであり、僧侶自身が歴史の連続体の中にあることを客観視させる。いわば肖像は、過去から現在へと連なる時間の流れを視覚化しているとも言える。深読みに過ぎるかもしれないが、肖像は私たちが生きる世界が、時間と空間の双方の広がりをもつ4次元世界であることをも伝えているのではないだろうか(学芸員大河内智之)。
企画展 高僧の姿―きのくにゆかりの僧侶たち―
和歌山県立博物館ウェブサイト