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小田井めぐり―大畑才蔵の偉業をたずねて―

和歌山県の北部を横断する紀ノ川。その紀ノ川の北岸に沿うように、高野口町の小田(おだ)から岩出市の根来(ねごろ)にかけて流れる大きな用水路が、小田井(おだい)です。
この小田井という用水路は、紀伊藩の5代藩主であった徳川吉宗(とくがわよしむね、1684?1751)が、土木工事を得意とした紀伊藩の村役人である大畑才蔵(おおはたさいぞう、1642?1720)に命じて作らせたものです。
吉宗は、紀伊藩の当時の財政状況を建て直すために、米の生産高を増やす目的で、新しい田んぼを開発しようとしました。しかし、新しい田んぼを作るには、畑と違って、十分な水が必要となります。
単純に考えると、水は近くの川から引いてくればいいように思いますが、川はたいていその地域でもっとも低い土地にあるため、近くの川の水を引いてきても、すぐに川の流れにもどってしまうので、十分な水を確保することはできません。
そこで、川のもっと上流から川の水を引いてきて、なるべく緩やかな流れで広い土地に水を行き渡らせるようにするのが、用水路です。
大畑才蔵は、極めて綿密な計算に基づいて、小田井のルートを決めたため、たとえば、山があれば用水路を迂回させ、用水路が川と交差する地点では、用水路に川の下をくぐらせたり、川の上を渡らせたりするという、非常に難しい工事も見事に成功させました。また、工事にかかる人員や予算を区画ごとに割り出し、各区画で同時に工事をはじめることで、短い期間で用水路を完成させたのです。
この小田井という用水路ができたおかげで、これまで十分な水が行き届かず、田んぼが作れなかった土地にも水を行き渡らせることができ、新しい田んぼを開発することができました。
この小田井は、作られてから300年近くたった現在でも、広い地域の農業用水路として現役で使われています。
さて、本日(8月17日)は、この小田井と、それを作った大畑才蔵について、紀の川市の小学校教員の新任研修会で講義をし、その後、現在も使われている小田井の状況を現地見学してきました。
じつは、この大畑才蔵という人は、紀州を代表する偉人の一人でもあるため、小学校4年生や小学校6年生の社会科の郷土学習の授業で、取り上げられることが多い人物です。そのため、小田井と大畑才蔵の偉大さについて、実際の用水路を見学しながら実感していただこうというのが、今回の新任研修会の趣旨でもありました。
また、このように、小学校の授業で取り上げられる人物ということもあり、現在博物館で開催中の「江戸時代のくらしと活躍した人々」の展示の中でも、いくつかの資料や写真を展示しているのです。
今回の博物館ニュースでは、本日の現地見学の様子を、少しお伝えいたします。
現地見学のルートは、
藤崎井(ふじさきい、小田井と同じく大畑才蔵が作った用水路)の取水口
小田井の取水口
中谷川水門(なかたにがわすいもん)
龍之渡井(たつのとい)
の順番でした。
まず、何よりも収穫だったのは、紀の川市教育委員会さんのはからいで、小田井土地改良区さんのご案内のもと、小田井の用水路の水を取り入れている取水口の近くにある頭首工(とうしゅこう、取水口から水を取り入れるために、一時的に川の流れをせき止める施設)の上に、実際に上がらせていただけたことです。
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左は頭首工の全景。右は頭首工へ上がったところです。
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左はせき止めたあとの水が勢いよく流れるところ。これをのぞき込むと、吸い込まれそうでさすがにヒヤリとしました。
右は、川をさかのぼる魚たちが、上流へのぼれるようにした施設。水をせき止めると、大きな段差ができるので、この施設がないと、魚は上流へさかのぼれないのです。
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小田井への取水口が、紀ノ川の上から見られたのは、大きな収穫でした。
3つの門のようになっているのが、取水口です。
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とにかく晴れて暑い日でしたので、紀ノ川も真っ青できれいでした。
左は、紀ノ川の下流。右は、紀ノ川の上流。
ただ、川の上は、さすがに風がありました。
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頭首工の上では、小田井土地改良区の方々が、色々と施設の説明をしてくださいました。
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頭首工を下りてからも、写真や模型を使っての丁寧な説明が続きました。
恥ずかしながら、私も知らないことばかりで、とても勉強になりました。
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写真は明治時代に堰(せき)が流されてしまったときに、仮の堰を置いている様子。
右は、その仮の堰の模型です。
小田井改良区のみなさま、色々と親切にご説明いただき、ありがとうございました。
さて、次は、中谷川水門(なかたにがわすいもん)。
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写真では、よくわからないと思いますが、用水路が、中谷川という紀ノ川の支流と交差する場所です。
ここでは、川を横断するために、中谷川の下を用水路がくぐっているのです。
管の中に通した水は、水面が高い方から低い方へ流れるというサイフォンの原理を応用しています。
写真の向こう側が用水路の上流で、手前が下流。
その間(煉瓦造の向こう側)には中谷川という川が流れています。
川の下をくぐった水は、こんこんとわき出しています。
川の下を用水路がくぐるなんて、相当な難工事であったことが想像されます。
右の写真は、水が少ないときの写真です。
現在の中谷川水門は、明治45年(1912)に作られた煉瓦造のもので、国の登録有形文化財に指定されています。
最後は、龍之渡井(たつのとい)。
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これは、前回、事前調査で龍之渡井へ行ったときの写真ですが、これも用水路が川と交差している地点。
しかし、今度は川の下をくぐるのではなく、川の上に水路橋をかけて、その橋の上に水を流すことで、水路を通しているのです。
右の写真は、橋の裏側ですが、橋の上に水路が通っているのがわかります。
現在の龍之渡井は、大正8年(1919)に作られた、煉瓦造・石造・コンクリート造の単アーチ橋で、こちらも国の登録有形文化財に指定されています。
このように、現在も現役で活躍している小田井。全長約33?におよぶ長大な用水路の設計にたずさわった大畑才蔵の偉大さに、あらためて頭が下がります。
この大畑才蔵が、用水路を測量するときなどに使った水盛器(みずもりき)の設計図などが、現在、博物館で展示中です。ぜひ、一度、博物館へ足を運んで、大畑才蔵について、もっと知ってみてください。(学芸員 安永拓世)

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