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「災害の記憶」を伝える資料3

 和歌山県立博物館では、和歌山県教育庁文化遺産課、和歌山県立文書館、県内外の歴史研究者と共同で、「災害の記憶」の発掘と文化財の所在確認を行っています。ここでは、調査で確認した「災害の記憶」を伝える資料のうち、企画展「描かれた紀州」で出陳している資料を紹介します。
大地震津波之事  一枚  嘉永7年(1854) 天性寺蔵 (展示番号27)
 後世に心得として残すため、「弘化四年(1847)」と墨書のある木箱の蓋裏に記された安政地震津波の記録です。下部が若干欠損しています。天性寺住職了範(18歳)の記録を、寺内東町の湯川堂□(以下不明)が板に記したものです。
まず、五日の南海地震津波での浜ノ瀬・名屋浦・北塩屋浦の被害状況、津波が日高川や西川を遡上した様子が記されています。次に、天性寺境内の被害とその後の余震の状況が記され、最後に御坊(日高別院)が避難場所であったこと、津波は速度が速く、若者も油断せず、老人や子供は一刻も早く、高い所に逃げるのが大切であると記されています。
D3A_2915 (1) (木箱の蓋の表)
D3A_2910(1).jpg (木箱の蓋の裏)
DSC00509 (1) (木箱の蓋の裏:赤外線内蔵のカメラで撮影)
  大地震津浪之事  津浪之/一番浪と/いふて二番/と可心得
一嘉永七申寅年十一月四日五ツ時大地震又翌日五□(日ヵ)□
 七ツ半時大地震致し、西之方に当り海底大に□ □
響く音すざまじくて、即時に津浪上り浜之瀬/名屋浦□ □
流失、北塩屋浦ハ七部余り流失/三歩ハ残り家財等之損失死人等も数多
此時津浪大川筋ハ野口かう森という川瀬迄上り、□ □
筋ハ田井の上入山之前手川筋迄上り候和田吉□(原ヵ)江ハ/上り不申候
一此時当寺之境内江も少々津浪来り、水入候得共、当(寺)□ □
各別之損失無之、又其五日之夜四ツ時前大地(震)□ □
津浪上り候、其夜ハ大分之地震明ケ六ツ過迄七八ツ□ □、
扨夫より段々軽きゆりハ日毎に二三度ツヽ十一月晦日□□(よりヵ)
師走ニもゆる
一御宝物幷ニ寺内之人々、御坊所迄逃延申候、己□ □
津浪之砌ハ若き者驚きあハて、火急に逃申に□ □
乍然其場合を見て、若きとて油断すへからず□ □
老人子供之分ハ早速に高き方かくゑにげ□ □
可申候、津浪ハ実にはげしきいきほひ有者□ □
老人子供ハ決而油断なく用意し早々立(し)□ □
申さん事肝要なり、末世為心得記し置□ □
于時嘉永七申寅年臘月上旬
 天性寺当住了範行年拾八歳
    筆者 東町湯川堂□ □
(主任学芸員 前田正明)
→描かれた紀州
→和歌山県立博物館ウェブサイト

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