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「災害の記憶」を伝える資料4

和歌山県立博物館では、和歌山県教育庁文化遺産課、和歌山県立文書館、県内外の歴史研究者と共同で、「災害の記憶」の発掘と文化財の所在確認を行っています。ここでは、調査で確認した「災害の記憶」を伝える資料のうち、企画展「描かれた紀州」で出陳している資料を紹介します。
名屋浦鑑写 一冊 御坊市立図書館蔵 (展示番号28)
 元和6年(1620)の洪水で、名屋浦の人々は日高川左岸から右岸の現在の場所に移ったと伝えられています。名屋浦鑑は名屋浦庄屋を勤めた塩崎家が代々書き記したもので、文政8年(1825)に庄屋卯蔵の子万之助が編集したとされています。本書はその写しで、原本に記された宝永地震津波の記載は、本書にはみられません。安政地震津波については、日高川左岸の塩屋の方が津波が高かったこと、地震発生によって雷や「海鉄炮」と呼ばれるごう音が発生したことなどが記されています。避難場所であった源行寺では、津波は本堂の三段目まで来たと記されています。
D3A_8908 (表紙) (表紙) D3A_8909 (表紙裏(表紙裏)
D3A_8947(地震津波の記事 (安政地震津波の記事)
(表紙裏)
「    名屋浦里長卯蔵男/二十五歳 万之助撰
  于時/文政第八乙酉年正月           」
(前略)
一安政元甲寅十一月五日大地震津浪
昨四日朝辰下刻大地震潮高きこと津浪の如し、五軒屋ニ而
   三尺位、塩屋辺ニ而五尺伝へきく、印南辺ニ而ハ八尺位と云々、今日
   申下刻又大地震西南海大ニ震動すること数万之雷
   一時ニ落ることし、しばらくして大津浪は来三度、地震ハ尚
   不レ止、海中なること炮の如し、地震頻りニ震大なるもの世の
   常ならず、次第相減して、両三年にして止む、炮のことく鳴る物
   俗名海鉄炮といふ、予ハ最初源行寺ニ走ル、出本堂板
   縁見之初度浪及二本堂御拝雨落一、再度浪不レ入レ門内、三
   度之浪及二本堂御拝階三段一、庫裡者庭而已諸荒諸場
   上□被下との、いさい如別記、是ニ略するのみ
(主任学芸員 前田正明)
→描かれた紀州
→和歌山県立博物館ウェブサイト

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