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たたかう村コラム2 湯起請

海南市に位置する古刹願成寺。
願成寺(極小)
(願成寺)
久寿2年(1155)、熊野と関わりの深い僧湛慶が
紀貞正から土地をもらい、山林荒野を開いて建てた寺院です。
願成寺周辺の村々では、南北朝時代~室町時代にかけて、
人足役(労働で納める税)について争いごとが頻繁に起こっていました。
最初の争いは、康暦元年(1379)に起こりました。
願成寺とその領地(門前の村)は、三上荘重禰郷内にありましたが、
願成寺領ではほかの重禰郷の村々とは違い人足役が免除されていました。
重禰郷の百姓等は、
「たとえ願成寺の領地であっても、人足役については郷内で同じだけ負担すべき」
と主張しています。
それに対し、願成寺領の百姓等は
「久寿年中以来、寺領の百姓は特別に人足役を免除されてきた」
と反論しています。
訴訟をうけた主計允某が、重禰郷の百姓に対して、
「証拠書類はあるか?」
と尋ねたところ、
「書類はない」
ということだったので、重禰郷百姓等の訴訟は退けられました。
しかし、応永3年(1396)には、願成寺領百姓等に対して人足役は賦課されていたようです。
そのため、今度は願成寺領の百姓等が訴訟を起こします。
昔から人足役を勤めてきた例はないという証拠書類を提出して、
あらためて人足役が免除されることが認められました。
この二回の裁判では、いずれも証拠書類を審査したうえで判決が下されています。
その結果、いずれも願成寺領百姓等の主張が認められたのです。
それにもかかわらず応永24年、願成寺領の百姓と重禰郷の百姓との間で、
人足役について三度目の訴訟が起こりました。
この時は、これまでの判決とは少し趣が違っていました。
判決を出したのは「沙弥」(紀伊国守護畠山満家)で、それが今回紹介する古文書です。
沙弥某下知状(極小)
(沙弥某下知状 個人蔵)
両方の主張を聞いた畠山満家は、「湯裁文」で決めるよう指示しています。
「湯裁文」とは湯起請とも言い、自分の主張を記した起請文(誓約書)を書いたうえで、
熱湯に入っている石を手で取り上げ、手の火傷の具合で、
その人の言っていることが嘘か本当かを判断する方法です。
室町時代には、くじ引きで将軍が決まることもあり、神による判断として、
くじ引きや湯起請などの方法で色々なことが決められました。
ただ、この時に「湯裁文」は行われませんでした。
というのも、重禰郷の百姓等が、「湯裁文」の場に現れなかったためです。
無理な訴えをしていると認識していたため、
重禰郷百姓等は恐れをなして出廷しなかったのでしょうか?真相はわかりません。
結果、願成寺領の百姓等の主張があらためて認められることになりました。
それ以後、この争いは見られなくなります。
湯起請という過激な問題解決の方法を提案したことで、
頻繁に起こっていた争いに抑止効果があったのかもしれません。
 (学芸員 坂本亮太)

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