今回は和歌山の村の様子ではありませんが、
絵から、たたかう村の様子を見てみたいと思います。
むかしの村人たちのたたかいの様子といっても、
なかなかイメージしづらいのではないかと思います。
ただ、幸い当館には絵で村人たちのたたかいの様子を描いたものが、
いくつか寄託・所蔵されています。そのうちの二つを紹介します。
川中島の戦いは武田信玄と上杉謙信が、5回にわたって川中島(長野市)で戦った戦いです。
当館が所蔵する川中島合戦図屏風には、武田信玄と上杉謙信が一騎打ちをする場面が描かれており、
雑誌や書籍などで注目されています。
じつはこのなかに、村人たちが描かれています。
(川中島合戦図屏風)
この絵は、塩崎村(長野市)の百姓が、
上杉謙信の荷駄隊(中条越前守)を襲っている場面を描いています。
なかには、鎧を着た武士を鑓で刺している村人もいれば、
返り討ちにあい、背中から血を流している村人もいます。
兵糧などの荷物を奪って逃げる村人がたくさん描かれ、
村人たちの襲撃が成功したことがわかります。
このように、戦国時代の村人たちは、
武士ともたたかうなど、非常にたくましく生きていました。
逆に武士と戦ってでも兵糧を奪わないと生きていけないほど
過酷な社会だったのかもしれません。
次に村人たちの遊びから、たたかいの様子を見てみましょう。
徳川家康が10歳のときに、とある村を訪れました。
そこでは、村の若者たちが因地(印地)という遊びをしていました。
(東照宮縁起巻 巻1)
村の若者が二手に分かれて、ある者は手に刀や弓・鑓をもっています。
なかには竹槍を持っている人、石を拾い投げている子供も描かれています。
この絵は、村の遊びの風景を描いたものではありますが、
当時の村人の武器やたたかいかたなどを知ることができます。
実際に、争いごとや戦争の際には、村人たちは刀や鑓、弓を持ったり、
さらには石を投げたりして戦いました。
このような遊びが、いざという時の戦いの練習にもなっていたのかもしれません。
そのほか細かく見れば、もっと村人たちの興味深い姿が描かれているかもしれません。
展示室で村人たちのたたかう姿をじっくりと味わっていただけたらと思います。
(学芸員 坂本亮太)