滴水瓦とは朝鮮半島に由来する軒平瓦の一種で、逆三角形の瓦当部をもっているのが特徴です。
この滴水瓦は、和歌山城内の発掘調査でも出土しています。
滴水瓦が日本に伝わるきっかけとなったのは、豊臣秀吉が行った朝鮮侵略(1592年の文禄の役〔壬辰倭乱〕と1597年の慶長の役〔丁酉倭乱〕)でした。
このとき、朝鮮半島から宮殿や寺院に使用されていた「李朝瓦」が日本に運ばれ、瓦職人も連れてきたといわれています。
関ヶ原合戦後、朝鮮へ渡海した武将(加藤清正や浅野幸長など)が築いた城などには、滴水瓦が使われました。
浅野幸長の居城であった和歌山城では、違鷹羽紋(浅野家の家紋)・蓮華文・唐文・菊文の4つの文様の滴水瓦が出土しています。
最近行われた三の丸の発掘調査で、安藤家屋敷地や水野家屋敷地からも出土しています。
和歌山城下屋敷大絵図 其五(部分) 和歌山県立図書館蔵 〔展示番号5〕
唐草文滴水瓦 (公財)和歌山市文化スポーツ振興財団蔵 〔展示番号8〕
下がり藤紋滴水瓦 (公財)和歌山市文化スポーツ振興財団蔵 〔展示番号8〕
沢瀉紋滴水瓦 (公財)和歌山市文化スポーツ振興財団蔵 〔展示番号10〕
つづく
現在、和歌山県立博物館では企画展「紀伊徳川家の家臣たちⅡ」を開催しています。ご来館をお待ちしています。
(主任学芸員 前田正明)
→企画展「紀伊徳川家の家臣たちⅡ」