三浦家はもと平氏の流れをくみ、6代為通の時、相模国三浦に居住し、「三浦姓」を名乗りました。
のち安房国に移ると「正木姓」に改名し、為春の代に「三浦姓」に復したといわれています。
為春の異父妹が徳川家康に仕え、頼宣を産むという縁故もあって、
慶長3年(1598)に家康から3000石の知行が与えられ、同8年には頼宣の傳役を命じられました。
元和5年(1619)、為春は頼宣の紀伊入国に同行し、8000石が与えられています。
現存する三浦家文書の多くは、和歌山大学紀州経済史文化史研究所が所蔵しています。
その内容は、知行目録や知行所支配に関係するもののほか、家老職としての公的な日記も多く含まれています。
遠州知行割帳 和歌山大学紀州経済史文化史研究所蔵 〔展示番号13〕
年中日記 和歌山大学紀州経済史文化史研究所蔵 〔展示番号25〕
これらの文書群は、紀伊藩の貴重な藩政史料として、昭和63年(1988)に和歌山県指定文化財に指定されています。
ただ、三浦家に伝来した資料のなかには、流出したものも少なくありません。
今回展示している個人蔵の資料もその一部といえます。
家紋桐唐草鳳凰文切平緒 個人蔵 〔展示番号15〕
つづく
今日、午後1時30分からミュージアムトークを行い、16人の方の参加がありました。
次回のミュージアムトークは25日(日)です。
(主任学芸員 前田正明)
→企画展「紀伊徳川家の家臣たちⅡ」