企画展「江戸時代の紀州の画家たち」の関連コラム
「紀州の画家紹介」
14回目にご紹介するのは、阪上淇澳(さかがみきおう)です。
阪上淇澳(さかがみ・きおう)
◆生 年:未詳
◆没 年:未詳
◆享 年:未詳
◆家 系:岡崎屋という屋号の町人(和歌山城下?)
◆出身地:紀伊
◆活躍地:紀伊
◆師 匠:野呂介石(のろかいせき、1747~1828)
◆門 人:未詳
◆流 派:文人画
◆画 題:墨竹
◆別 名:岡崎屋・正行・岡鼈など
◆経 歴:町人、文人画家。未詳な点も多いが、阪上漱雪(さかがみそうせつ、1765~1847)、阪上梅圃(さかがみばいほ、生没年未詳)と同じ岡崎屋の出身という。漱雪は、岡崎屋伝兵衛・正巳・立礼・楽中・田平などと名乗り、紀伊藩士で文人画家の野呂介石に絵を学んだ人物で、弘化4年(1847)に83歳で亡くなった。梅圃は、岡崎屋吉左衛門・謙・皆吉・熈春斎などと名乗り、同じく介石に絵を学んだ人物で、漱雪の子ともいわれるが、生没年などは未詳である。淇澳も、漱雪や梅圃と同じく、介石に絵を学んだようで、とりわけ竹の絵を得意としたとされる。たしかに、介石門人の寄合描(よりいがき)である「泉石嘯傲図(せんせきしょうごうず)」(和歌山県立博物館蔵)では、画面のほぼ中央に「墨竹図(ぼくちくず)」を描いており、また、介石と淇澳が下絵を描いた「梅竹図蒔絵弁当重箱(ばいちくずまきえべんとうじゅうばこ)」(和歌山市立博物館蔵)や、「竹石図(ちくせきず)」(和歌山県立博物館蔵)では、いずれも竹を主題としている。また、介石が淇澳のために描いた「墨竹図巻(ぼくちくずかん)」(和歌山県立博物館蔵)も確認され、介石から墨竹を主に学んでいたことが想像される。なお、妻の阪上素玉(さかがみそぎょく、生没年未詳)(淑充)も、介石に絵を学んだようで、先の寄合描の「泉石嘯傲図」では、中央上部に「墨梅図(ぼくばいず)」を描いている。
◆代表作:「竹石図」(和歌山県立博物館蔵)、介石・淇澳下絵「梅竹図蒔絵弁当重箱」(和歌山市立博物館蔵)など
今回展示しているのは、淇澳の代表作である「竹石図」(和歌山県立博物館蔵)です。
(以下、いずれも画像をクリックすると拡大します)
款記は「正行」で、印章は「正行之印」(白文方印)です。
現在残されている淇澳の絵は、いずれも竹を主題としたもので、また、介石が淇澳のために描いた「墨竹図巻」も現存することから、淇澳は竹の絵を得意とした画家であったことがわかっています。介石の竹の絵と比べると、竹葉の描き方などは慎重で、ややおとなしい印象がありますが、とはいえ、清々しい竹の存在感をよく描き出しています。介石の門人たちの中には、こうした特定の画題を修練し、いわば一芸に秀でたような画家がほかにもいたのかもしれません。介石の門人たちの裾野を知るうえでは、興味深い画家といえるでしょう。(学芸員 安永拓世)
→江戸時代の紀州の画家たち
→和歌山県立博物館ウェブサイト