企画展「江戸時代の紀州の画家たち」の関連コラム
「紀州の画家紹介」
16回目にご紹介するのは、平林無方(ひらばやしむほう)です。
平林無方(ひらばやし・むほう)
◆生 年:天明2年(1782)
◆没 年:天保8年(1837)7月24日
◆享 年:56歳
◆家 系:紀伊国有田郡湯浅(ありだぐんゆあさ)の福蔵寺(ふくぞうじ、浄土真宗西本願寺末)の12代住職
◆出身地:紀伊
◆活躍地:紀伊
◆師 匠:野呂介石(のろかいせき、1747~1828)
◆門 人:未詳
◆流 派:文人画
◆画 題:山水
◆別 名:瑞空・空心など
◆経 歴:僧侶、文人画家。未詳な点も多いが、福蔵寺の住職を務めるかたわら、紀伊藩士で文人画家の野呂介石に師事して絵を学び、介石風の山水をよく描いた。福蔵寺には、彼が描いたという大作の「山水図襖(さんすいずふすま)」が残る。また、晩年の介石を頻繁に訪ねて指導を仰いだらしく、介石が無方のために描いた作例としては、文政6年(1823)の「蘭石図巻(らんせきずかん)」(和歌山県立博物館蔵)・「石譜図巻(せきふずかん)」(和歌山県立博物館蔵)・「四碧斎印譜(しへきさいいんぷ)」(和歌山県立博物館蔵)、文政9年(1826)の「墨竹図巻(ぼくちくずかん)(呉鎮詩意(ごちんしい))」(和歌山県立博物館蔵)などが現存している。介石の門人の中では、介石の晩年の画風を最もよく伝え、充実した山水表現がうかがえる。
◆代表作:「山水図襖」(福蔵寺蔵)、「山水図(唐寅詩意(とういんしい))」(和歌山県立博物館蔵)文政9年(1826)、「秋景山水図(しゅうけいさんすいず)」(和歌山県立博物館蔵)文政9年(1826)など
今回展示しているのは、無方の代表作の一つである「山水図(唐寅詩意)」(和歌山県立博物館蔵)です。
(以下、いずれも画像をクリックすると拡大します)
款記は「緑陰晴昼白猿啼三峡橋邉/路欲迷頼得泉聲引帰路/幾回嗚咽認高低/六如詩丙戌夏日/無方山人写」で、中国の明時代の唐寅という文人の「題画詩」という七言絶句のうちの一つを引用しています。
印章は「空心之印」「无方山人」(白文連印)、「死在嵒根骨亦清」(朱文長方印)です。
介石の門人たちの画風は、いずれもやや介石の画風を薄めたような淡泊な表現になる傾向があったようですが、この無方は、その中でも比較的しっかり描き込んだ山水画を残しました。とりわけ、無方は晩年の介石のもとをしばしば訪れて、指導を受けたらしく、その山水画には、介石の晩年の画風の特徴でもある右下がりの横長の筆触を山肌や樹葉に施すという独特の描法が見受けられます。また、山肌に施した代赭(たいしゃ)や藍(あい)の淡彩も介石風ですし、款記や題詩を書く文字の書風も介石とよく似ているようです。この絵も、そうした無方の特徴を顕著に示しており、款記から文政9年(1826)夏の制作であることがわかります。このとき、無方は45歳、介石は80歳。介石在世中の作例としても、重要といえるでしょう。(学芸員 安永拓世)
→江戸時代の紀州の画家たち
→和歌山県立博物館ウェブサイト