企画展「江戸時代の紀州の画家たち」の関連コラム
「紀州の画家紹介」
26回目にご紹介するのは、上辻木海(うえつじぼっかい)です。
上辻木海(うえつじ・ぼっかい)
◆生 年:寛政12年(1800)
◆没 年:明治8年(1875)
◆享 年:76歳
◆家 系:和歌山城下の東長町の町医師
◆出身地:紀伊
◆活躍地:紀伊
◆師 匠:野呂介石(のろかいせき、1747~1828)?
◆門 人:未詳
◆流 派:文人画・写生画
◆画 題:山水・花鳥
◆別 名:貞輔・邦彦・紀邦彦・伯英など
◆経 歴:町医師、本草学者、文人画家。和歌山城下の東長町の町医師。紀伊藩の医師で本草学者でもあった小原桃洞(おはらとうどう、1746~1828)に本草学を学ぶ。92種の柑橘類(かんきつるい)を調査し、それを写生した『柑橘図譜』を著し、同門の本草学者で紀伊藩士の山中信古(やまなかのぶふる、1815~75)の著作『南海包譜(なんかいほうふ)』とともに、慶応3年(1867)に紀伊藩へ献上したという。絵もよくし、紀伊藩士で文人画家の野呂介石に絵を学んだとされる。本草学の写生図譜とは異なり、文人画風の山水図も残しており、介石からの影響もうかがえる。このほか、紀州の町人出身で海防論者の菊池海荘(きくちかいそう、1799~1881)や、京都の文人である頼山陽(らいさんよう、1779~1832)など、多様な文人とも交流をもったようだ。
◆代表作:「鳴滝真景図(なるたきしんけいず)」(和歌山県立博物館蔵)など
今回展示しているのは、木海の代表作である「鳴滝真景図」(和歌山県立博物館蔵)です。
(以下、いずれも画像をクリックすると拡大します)
款記は、「幾樹霜楓媚/落雲満渓秋色/圧春葩巌頭/手汲清泉潔酔/錦堆遷坐/烹茶/飽酔紅楓着/世機暮鐘声/褁出巌龐渓風/撩乱斜陽路幾片/錦雲繡袖陽/暮秋遊鳴泉光景/概如斯 木海老漁併写」で、
印章は「紀邦彦」(白文重郭長方印)、「詩思清于水」(朱文長方印)、「臥游泉石」(白文方印)です。
この絵は、木海が、晩秋に鳴滝(なるたき、現在の和歌山市園部(そのべ))を訪れた際に見た実際の光景と、木々の美しい紅葉を描き、自作の漢詩を添えた作品です。
中央に描かれている堂は不動堂(ふどうどう、鳴滝不動尊(なるたきふどうそん))とみられ、古くから修験道(しゅげんどう)の行場(ぎょうば)として知られていました。また、和歌山の鳴滝は、京都の鳴滝とは別の歌枕(うたまくら)であるとの説もあったようです。
また、「真景図」とは、実際に現地を訪れて、そのスケッチや、訪れた際の実感や感動に基づいて描く風景画のことで、江戸時代の中期以降、とりわけ文人画の世界で描かれるようになりました。ただ、地理的な正確さよりも、現地を訪れた感動を伝えることが重要な要素であり、この絵も、そうした真景図の一つといえます。
木海が師事したという野呂介石も、同じ和歌山の鳴滝を訪れて、寛政10年(1798)に「鳴滝図巻」(個人蔵)を描いているので、そうした作品からの影響も考えられます。
いずれにせよ、本草学者としての科学的なまなざしではなく、むしろ、より個人的でより文人的な視点からの描写に、この絵の一番の魅力があるともいえるでしょう。(学芸員 安永拓世)
→江戸時代の紀州の画家たち
→和歌山県立博物館ウェブサイト