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コラム:法皇の熊野参詣を見守った神像

法皇の熊野参詣を見守った神像
 熊野三山への参詣道である熊野古道沿いには、九十九王子と呼ばれる多数の小社がある。王子にはそれぞれ金剛童子という神が祀られるが、これは熊野の神々の眷属で、参詣者の道中の安全を守る存在とされる。参詣の際にはこれらの王子を巡ることも、修行の重要な儀礼の一つであった。
 なかでも藤代王子(海南市)・切目王子(日高郡印南町)・稲葉根王子(西牟婁郡上富田町)・滝尻王子(田辺市中辺路町)・発心門王子(田辺市本宮町)の五社は五体王子とよばれ、特に格式が高く、皇族・貴族らの参詣の際に特別な法要や芸能の奉納などが行われた。このうち滝尻王子から先は、例えば右大臣藤原宗忠の日記『中右記』天仁2年(1109)条に「初入御山内」と記されていて、熊野の神域の入口と考えられていたらしい。
 この滝尻王子を現在に引き継ぐ滝尻王子宮十郷神社に、平安時代後期、12世紀ごろに造像された、滝尻金剛童子の神像が伝えられている。像高35.8㎝の小さな像で、兜を着け、鎧をまとい、やや身をかがめて左肩を前に出して威嚇し、にらみつける体勢をとっている。右手は肘を後ろに引いて構え、胸前で矢を持ち、左手は垂下して弓を握る姿である。
 こうした姿は、一般的な神のイメージとは異なるかもしれないが、実は熊野の神々の姿を描いた熊野曼荼羅という絵画資料の中には、これとほぼ同じ特殊な姿の滝尻金剛童子を描いたものがあり、本像が当初から滝尻金剛童子として造像されたことは間違いない。
 九十九王子と呼ばれる多数の王子社の中で、平安時代に遡る金剛童子像として、本像が現存唯一のものである。上皇以下、多数の貴族が熱狂的に行った熊野参詣を、本像は見つめ続けたのである。
 平成23年9月、台風12号の豪雨被害により滝尻王子境内は水没した。本像は被災を免れたものの、保存の上で大きな懸念があったことから、現在は和歌山県立博物館で保管し、和歌山県立和歌山工業高等学校と連携して作製した、同じ姿の複製を安置している。和歌山県立博物館の企画展「文化財受難の時代―いかに守るか―」(~4/21)では、文化財を守るための一つのあり方として、本物と複製の両方をご紹介している。
 文化財は一見すれば物言わぬようである。しかし様々な角度から眺めることで、かつて生きた人々の姿を今日に伝えてくれる、歴史の証拠となるものである。そうした文化財が語る和歌山の歴史は、魅力に溢れている。なにとぞ、みなさんの身近に残る文化財を、未来へと引き継いでいっていただきたい。(主査学芸員 大河内智之)
滝尻金剛童子立像 - コピー 描かれた滝尻金剛童子 - コピー
左/滝尻金剛童子立像     右/熊野垂迹神曼荼羅図(和歌山県立博物館蔵)部分
DSC_1044.jpg
実物(左)と作製した複製(右)

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