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スポット展示「初夏の風」

 このたび、博物館では、博物館の所蔵品を、より多くのみなさまに、広く知っていただきたいという目的から、2階に「スポット展示」というコーナーを設け、館蔵品を数点取り上げた展示をはじめました。
 平成22年度は、「季節のしつらい」と題して、季節にまつわる言葉や、各月の特別な呼び方(異名)などとともに、四季折々の動植物や風物詩を題材とした資料を展示します。
 約1か月から2か月ごとに、展示替えをおこなう予定です。
今回のテーマは
初夏の風
【会期:2010年5月14日?6月11日】
スポット展示(初夏の風)展示状況(軽)(画像をクリックすると拡大します)
 初夏は、旧暦(太陰暦)の4月、現在の暦(太陽暦)でいうと5月ごろの季節のことです。ちなみに今年は、5月14日が、旧暦の4月1日に相当します。
 こうした初夏は、牡丹(ぼたん)や卯の花(うのはな)、藤(ふじ)、燕子花(かきつばた)などの花が咲き、樹木の若葉や、新緑(しんりょく)のまぶしい季節となります。「花冷え(はなびえ)」や「寒の戻り(かんのもどり)」はなくなり、梅雨(つゆ)までのひとときは、まさに暖かい日ざしを満喫できる時期といえるでしょう。
☆4月の異名
卯月(うづき)・孟夏(もうか)・初夏(しょか)・陰月(いんげつ)・花残月(はなのこりづき)・麦秋(ばくしゅう)・夏端月(なつはづき)・仲呂(ちゅうろ)・夏半(かはん)・乏月(ぼうげつ)・祭月(まつりづき)・鳥待月(とりまちづき)・余月(よげつ)
☆5月の異名
皐月(さつき)・仲夏(ちゅうか)・吹雪月(ふぶきづき)・鳧鐘(ふしょう)・月見ず月(つきみずづき)・橘月(たちばなづき)・田草月(たぐさづき)・蕤賓(すいひん)・賤間月(しずまつき)・早苗月(さなえづき)・鬱林(うつりん)・蒲月(ほげつ)
以下は、展示資料の解説です。
書「因風柳絮飛」 碌々斎筆
(しょ「かぜによりりゅうじょとぶ」 ろくろくさいひつ)
書「因風柳絮飛」(軽)(画像をクリックすると拡大します)
   1幅
   紙本墨書
   江戸時代(19世紀)
   縦29.1㎝ 横54.9㎝
 「風により柳絮飛ぶ」という一節を書いた、書の掛軸(かけじく)です。「柳絮」とは、柳の花が咲いた後、白い綿毛のある種子が散ることで、中国では、春から初夏にかけての風物詩となっています。日本では、綿毛の飛ぶ柳はあまり自生していませんでしたが、中国の漢詩などの影響で、「柳絮」が詠(よ)まれました。
 筆者の碌々斎(1837-1910)は、茶道の表千家の11代家元です。紀伊徳川家では、代々、表千家の家元に茶道を学んできたため、碌々斎も明治維新までは紀伊徳川家に仕えていました。
偕楽園焼 浅葱釉交趾写花入
(かいらくえんやき あさぎゆうこうちうつしはないれ)
偕楽園焼 浅葱釉交趾写花入(軽)(画像をクリックすると拡大します)
   1口
   江戸時代(19世紀)
   高31.8㎝ 口径13.7㎝
 交趾(こうち)とはベトナム南部を指す地名ですが、実際には、東南アジアとの貿易で、日本へもたらされた中国南部のやきものを、広く交趾焼と呼びました。
 これは、その交趾焼を写した花入で、あしらわれている文様は、燕子花(かきつばた)や菖蒲(しょうぶ)にも見えますが、牡丹(ぼたん)と思われます。
 偕楽園焼(かいらくえんやき)では、楽焼(らくやき)とともに、交趾写の作品も多く作られました。それらは、浅葱色(あさぎいろ、水色)と紫色との独特な配色や、文様の輪郭線を盛り上げる技法に特徴があります。中国の明(みん)時代のやきものから強い影響を受けたようです。
偕楽園焼 灰釉平茶碗 銘「新樹」
(かいらくえんやき かいゆうひらぢゃわん めい「しんじゅ」)
偕楽園焼 灰釉平茶碗 銘「新樹」(軽)(画像をクリックすると拡大します)
   1口
   江戸時代(19世紀)
   高六6.3㎝ 口径15.6㎝
 浅く開いたこの茶碗は、茶席で夏に用いる平茶碗と呼ばれるものです。繊細な形や、うすい緑色の釉薬(ゆうやく)が、見た目にも涼しげな印象を与えます。みずみずしい若葉を示す「新樹」という銘(めい、名前)にぴったりです。
 紀伊藩10代藩主の徳川治宝(とくがわはるとみ、1771-1852)の側近で、和歌を得意とした伊達千広(だてちひろ、1802-77)という人物が銘をつけました。茶碗の裏に「偕樂園製(かいらくえんせい)」の印が捺(お)されているので、偕楽園焼であることがわかります。また、箱のラベルから、紀伊徳川家に伝わったとわかる点も貴重です。
参考解説
偕楽園焼(かいらくえんやき)とは
 紀伊藩10代藩主・徳川治宝(とくがわはるとみ、1771-1852)は、文政2年(1819)、和歌山城下の南西(現在の県立和歌山工業高校付近)に別邸・西浜御殿(にしはまごてん)を築き、以後、その御殿の庭園・偕楽園(かいらくえん)で偕楽園焼という御庭焼(おにわやき)をおこないました。その制作や指導には、京都から表千家9代の了々斎(りょうりょうさい、1775?-1825)や同10代の吸江斎(きゅうこうさい、1818-60)をはじめ、楽旦入(らくたんにゅう、1795-1854)、永楽保全(えいらくほぜん、1795-1854)などの陶工が招かれています。文政2年・文政10年(1827)・天保7年(1836)の少なくとも3回焼かれたとみられ、作品も楽焼(らくやき)系と磁器(じき)系の二種があります。磁器系の作品は、文政10年に招かれた保全が制作を指導した可能性もありますが、どんな窯だったかなど、くわしいことはよくわかっていません。
このような解説とともに、資料が展示されています。
なお、博物館の2階は、どなたでも無料でご覧いただけます。
折々、博物館の2階を訪れて、あらためて季節の息吹を感じてみてはいかがでしょうか?(学芸員 安永拓世)

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