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スポット展示「桃の節句」

博物館の所蔵品のなかから数点を取り上げて、
約1か月ごとのテーマに合わせて無料で公開する「スポット展示 季節のしつらい」。
昨年(2010年)の5月からスタートしたスポット展示については→こちらをご参照ください。
11回目を迎えた今回のテーマは
桃の節句
【会期:2011年3月5日(土)~4月8日(金)】
スポット展示(桃の節句)展示状況(画像をクリックすると拡大します)
 3月3日はひな祭りですが、ひな祭りは、五節句(ごせっく)の一つで、上巳(じょうし)の節句のことです。もとは、平安時代の貴族の子女の「雛(ひな)あそび」が行事化したとされ、後には、紙製の小さな人形を川や海に流して災厄を祓(はら)う「流し雛」もおこなわれました。
 旧暦の3月3日(今年は4月5日)は、桃の花の季節であることから、ひな祭りは、別名、桃の節句とも呼ばれます。今回は、桃にちなんだ資料をご紹介します。
☆2月の異名
如月(きさらぎ)・仲春(ちゅうしゅん)・盛春(せいしゅん)・夾鐘(きょうしょう)・雪消月(ゆきぎえづき)・梅見月(うめみづき)・初花月(はつはなづき)・酣春(かんしゅん)・橘如(きつじょ)・令月(れいげつ)・花朝(かちょう)・木芽月(このめづき)
☆3月の異名
弥生(やよい)・晩春(ばんしゅん)・季春(きしゅん)・姑洗(こせん)・春惜月(はるおしみづき)・早花咲月(さはなさきづき)・桃月(ももづき)・桜月(さくらづき)・修禊(しゅうけい)・殿春(でんしゅん)・竹の秋(たけのあき)・夢見月(ゆめみづき)
以下は展示資料の解説です。
?菱餅桃花図 徳川頼倫筆
 (ひしもちももはなず とくがわよりみちひつ)
菱餅桃花図 徳川頼倫筆(中)(画像をクリックすると拡大します)
   1幅
   紙本著色
   大正10年(1921)
   縦76.8? 横35.1?
 ひな祭りに人形とともに飾られる菱餅(ひしもち)と、桃の花を描いています。上の和歌は、「国のため さゝ(さ)く(ぐ)る花や みちとせの ゆくへ(え)を祝ふ(う) 今日の莚(むしろ)に」「あさもよし 木のわか(が)庭に けふ(きょう)もなほ(お) 三つもゝ(も)とせの 英(はな)そ(ぞ)咲きつゝ(つ)」「世を照らす わか(が)日(ひ)の本(もと)の はらかは(ら)は 団欒(つどい)てつとめ 国を守れる」の三首で、桃と百年(ももとせ)を掛詞(かけことば)にして、国の繁栄を詠(よ)み込んだ内容です。
 筆者の徳川頼倫(とくがわよりみち、1872?1925)は、紀伊徳川家15代当主で、貴族院議員として活躍したほか、南葵文庫(なんきぶんこ)という私設図書館を設立したことでも知られています。
菱餅桃花図 徳川頼倫筆(中)部分 菱餅桃花図 徳川頼倫筆(中)自賛和歌部分
(絵部分)            (和歌部分)
?南紀高松焼 染付桃源僊居図筒花入
 (なんきたかまつやき そめつけとうげんせんきょずつつはないれ)
南紀高松焼 桃源僊居図筒花入(中)(画像をクリックすると拡大します)
   1口
   江戸時代(19世紀)
   高36.5? 口径19.2?
 桃源僊居(とうげんせんきょ)とは、桃源郷(とうげんきょう)に移り住むという意味です。桃源郷は、中国の詩人である陶淵明(とうえんめい、365?427)の「桃花源記(とうかげんのき)」に登場するユートピアで、武陵(ぶりょう)の漁師が両岸に桃の花が咲く川をさかのぼっていくと、秦(しん)の移民が住む楽園があったとされます。桃の花には、そうした桃源郷のイメージが重ね合わされる場合もありました。
 この花入は、胴の周囲に桃源郷へと向かう一人の漁師を描いたもので、多くの花をつけた両岸の桃が見どころです。底の銘から、和歌山城下の高松の地で焼かれた南紀高松焼(なんきたかまつやき)であるとわかります。
南紀高松焼 桃源僊居図筒花入(中)2 南紀高松焼 桃源僊居図筒花入(中)3 南紀高松焼 桃源僊居図筒花入(中)底 南紀高松焼 桃源僊居図筒花入(中)底銘
(胴の周囲)                   (底)           (「南紀高松」銘)
参考解説?
南紀高松焼(なんきたかまつやき)とは
 南紀高松焼(なんきたかまつやき)は、和歌山城下の高松(現在の和歌山市東高松付近)にあった窯(かま)で焼かれたやきもので、多くは染付(そめつけ)の磁器(じき)製品です。その位置づけについては不明な点もありますが、最近の研究では、南紀男山焼の窯が築かれる文政10年(1827)以前に、磁器の試し焼きをする窯として利用されたと考えられています。その後、文政10年(1827)の偕楽園御庭焼(かいらくえんおにわやき)に合わせて新たな窯が築かれ、偕楽園焼も焼いていたようですが、天保2年(1831)に西浜御殿(にしはまごてん)でも窯が築かれたため、その役目を終え、天保3年(1832)以降は、紀伊藩の殖産興業政策(しょくさんこうぎょうせいさく)として磁器の増産が図られ、南紀男山焼(なんきおとこやまやき)の窯と合わせて崎山利兵衛(さきやまりへえ、1797?1875)に経営を任せたと想定されます。
参考解説?
桃の主題に託された意味
 美術や工芸の中に登場する植物には、その植物にまつわるさまざまな意味が込められている場合が少なくありません。今回は桃についてご紹介しましょう。
 中国では3000年に一度しか花をつけない蟠桃(ばんとう)という伝説上の桃があり、その実を食べると3000年の寿命を得るとされたことから、桃は、長寿を象徴しました。また、桃の葉には殺菌作用があるため、桃の枝は魔除(まよ)けに使われたようです。さらに、桃の林は、桃源郷(とうげんきょう)のような楽園をイメージさせ、中国の周(しゅう)時代の武王(ぶおう)が天下を治めて牛を桃林に放った故事「桃林放牛(とうりんほうぎゅう)」も、天下泰平(てんかたいへい)の象徴でした。一方、日本では、桃は百の「もも」と同音で、数の多さやおめでたさを意味したのです。
今回は、桃をテーマにした展示となりました。
本格的な桃の花の季節には、まだ少し早いですが、和歌山県内には、紀の川市桃山町など桃の有名な産地も少なくありません。
一面、桃の花におおわれた桃林は、芳しい香りと、霞むような桃のピンク色が、春めいた気分をいっそうかきたててくれます。
みなさんも、そうした場所で、桃源郷ならぬ桃の花見を楽しんでみるのも良いかもしれません。
ところで、5月からではありましたが、今年度を通して、ほぼ1か月ごとのペースで展示替えをおこなってきた「スポット展示 季節のしつらい」はいかがでしたでしょうか?
毎回、3点ずつほどの博物館の資料を、季節に合わせた一つのテーマに沿うかたちで展示してきましたが、担当する学芸員としても、新たな発見あり、苦労ありで、とても勉強になりました。
とくに、わずか3点ほどの資料とはいえ、それらの選択や取り合わせには、毎回頭を悩まされました。
全ての資料が、あまりにも一つのテーマに寄り添いすぎていると、「しつらい」としての面白味や、取り合わせとしての深みに欠けるかな?と思ったり…。
反対に、それぞれの資料があまりにかけ離れすぎていると、展示がバラバラになってしまうのではないかと心配したり…。
そうした学芸員の意図を、どれほどみなさんにお伝えできたのかはわかりませんが、このブログ上でも、何度か、みなさまからのご意見やご感想をいただきました。
そうした方々の声が、担当する学芸員にとっても、大きな励みとなりました。
ありがとうございました。
ともかくも、「季節のしつらい」というテーマは今回で終了となります。
担当者やテーマは変わりますが、2階のスポット展示は、来年度以降も続けていく予定です。
どうかよろしくお願いいたします。(学芸員 安永拓世)
→和歌山県立博物館ウェブサイト
→これまでのスポット展示

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