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スポット展示「過ぎゆく夏」

5月からはじまった「スポット展示 季節のしつらい」。
スポット展示については→こちらをご参照ください。
3回目の今回のテーマは
過ぎゆく夏
【会期:2010年7月11日(日)?8月7日(土)】
過ぎゆく夏展示風景(軽)(画像をクリックすると拡大します)
 現在の暦(太陽暦(たいようれき))の7月は、梅雨(つゆ)も終わってようやく夏本番という感じですが、旧暦(太陰暦(たいいんれき))では6月に相当するため、実は晩夏(ばんか)、すなわち夏も終わりに向かう季節です。今年は8月7日が立秋(りっしゅう)で、暦の上では、秋となります。
 この時期の季語としては、百合(ゆり)・蓮(はす)・夕顔(ゆうがお)・瓜(うり)、茄子(なす)・蝉(せみ)などの動植物や、雲の峰(くものみね)(入道雲(にゅうどうぐも))・雷(かみなり)・夕立(ゆうだち)などの天候、納涼(のうりょう)・祇園祭(ぎおんまつり)などの風物詩が挙げられます。
☆6月の異名
水無月(みなづき)・季夏(きか)・晩夏(ばんか)・林鐘(りんしょう)・風待月(かぜまちづき)・涼暮月(すずくれづき)・夏越の月(なごしのつき)・炎陽(えんよう)・小暑(しょうしょ)・鳴雷月(なるかみづき)・常夏(じょうか)・伏月(ふくげつ)
☆7月の異名
文月(ふみづき)・孟秋(もうしゅう)・初秋(しょしゅう)・夷則(いそく)・棚機月(たなばたづき)・愛逢月(めであいづき)・女郎花月(おみなえしづき)・涼月(りょうげつ)・処暑(しょしょ)・蘭月(らんげつ)・文披月(ふみひろげづき)・瓜時(かじ)
以下は展示資料の解説です。
?三頫図 松尾塊亭筆
(さんちょうず まつおかいていひつ)
三チョウ図 松尾塊亭筆(軽)(画像をクリックすると拡大します)
   1幅
   絹本墨画淡彩
   江戸時代 文化元年(1804)
   縦28.9? 横57.3?
 円の中に三人の人物が描かれ、その左には「あふむく(仰向く)も うつむくもさひ(び)し ゆりの花」との句が書かれています。句の下には「獅子老人(ししろうじん)」とあり、松尾芭蕉(まつおばしょう、1644?94)の弟子である各務支考(かがみしこう、1665?1731)という俳諧師(はいかいし)の句であるとわかります。三頫図(さんちょうず)の頫とは、うつむくという意味で、本来は孔子(こうし)・釈迦(しゃか)・老子(ろうし)の教えが同じであることを示す絵でしたが、支考の弟子たちは、句会を開く際、こうした三頫図を床の間に掛けました。
 この三頫図は、支考の弟子に俳諧を学んだ紀伊藩士の松尾塊亭(まつおかいてい、1732?1815)が、73歳のときに描いたものです。
?偕楽園焼 赤楽灰器 弥介作
(かいらくえんやき あからくはいき やすけさく)
偕楽園焼 赤楽灰器 弥介作(軽)(画像をクリックすると拡大します)
    1口
   江戸時代 天保7年(1836)
   高7.3? 口径17.9?
 灰器(はいき)は、茶席(ちゃせき)で使う灰を入れるための器(うつわ)です。秋から春に使用する炉(ろ)では素焼きの灰器を、夏に使用する風炉(ふろ)では釉薬(ゆうやく)のかかった小ぶりの灰器を用います。
 この灰器は、内側に赤楽(あからく)の釉薬をかけたもので、夏の風炉用です。器の底裏(そこうら)には、「偕楽園制(かいらくえんせい)」の円印(えんいん)と、「弥」の楕円印(だえんいん)が捺(お)されており、また、表千家十代・吸江斎(きゅうこうさい)の箱書(はこがき)には、楽焼(らくやき)の脇窯(わきがま)の陶工(とうこう)であった二代弥介(やすけ、生没年未詳)が、天保7年(1836)に制作したと記されています。弥介は、偕楽園焼に携わった褒美(ほうび)として、のちに「久楽(きゅうらく)」の印を賜(たまわ)りました。
?瑞芝焼 青磁周茂叔香合
(ずいしやき せいじしゅうもしゅくこうごう)
瑞芝焼 青磁周茂叔香合(軽)(画像をクリックすると拡大します)
    1合
   江戸時代(19世紀)
   縦4.6? 横4.7? 高4.3?
 香合とは、茶席(ちゃせき)で、炭のにおいを消すために使うお香を入れておく器(うつわ)です。
 この香合は、全体に青磁(せいじ)の釉薬(ゆうやく)をかけた小ぶりなもので、蓋(ふた)の表(おもて)には、橋の欄干(らんかん)に寄りかかる中国風の老人をあらわしています。こうした図様は、蓮(はす)を愛した周茂叔(しゅうもしゅく、1017?73)という中国・北宋(ほくそう)時代の儒学者(じゅがくしゃ)が、池の蓮をながめている場面を主題にした典型的なもので、香合のデザインとしても流行しました。香合の文様に、蓮はあしらわれていませんが、周茂叔の滑稽(こっけい)な姿も愛らしく、清々しい蓮の花を思い浮かべさせてくれます。
参考解説
瑞芝焼(ずいしやき)とは
 瑞芝焼(ずいしやき)は、鈴丸焼(すずまるやき)とも呼ばれ、享和元年(1801)に、和歌山城下の鈴丸(現在の和歌山市畑屋敷新道丁(はたやしきしんみちちょう)付近)で、阪上重次郎(さかがみじゅうじろう、生没年未詳)がはじめたやきものです。創業当初は民営でしたが、紀伊藩10代藩主の徳川治宝(とくがわはるとみ、1771?1852)が、その青磁(せいじ)の色彩を愛でて「瑞芝」と命名したことから、次第に紀伊藩の御用窯(ごようがま)的な性格を帯びるようになりました。多様なやきものを制作したようですが、とりわけ青磁に質の高い作例が多く、優れた陶工(とうこう)の関与が想定されます。京都の陶工である木米(もくべい、1767?1833)が指導したともされますが、くわしいことはわかっていません。明治維新後は、開物局(かいぶつきょく)の傘下となり、明治9年(1876)に廃窯(はいよう)となりました。
今回のスポット展示は8月7日までです。
ぜひ、博物館へお越しの際には、2階のスポット展示をご覧ください。(学芸員 安永拓世)
→和歌山県立博物館ウェブサイト

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