トップページ >博物館ニュース >企画展「絵図をよむ2」展示資料紹介

企画展「絵図をよむ2」展示資料紹介


大絵図20090306  (画像クリックで拡大)
紀州和歌山大絵図  一舗
150.0?×93.8? 江戸時代(19世紀)
和歌山県立博物館蔵
 江戸時代後期の和歌山城下を描いた絵図。凡例から、天保10年(1839)に亀井氏が所蔵していた絵図を写したものとわかります。家老屋敷の「安藤祐之進」・「水野対馬守」の記述と天保3年に竣工した「湊御殿」の描写があることから、天保5年から6年までの景観を描いたものと推定できます。軍事的理由で城内は描かれず、空白となっています。門や橋に絵画的描写がみられますが、多くは簡略化された図様となっています。興味深いのは、この絵図に、享和元年(1801)に開窯した瑞芝焼の「鈴丸陶器所」や文政10年(1827)に開窯したとされる南紀高松焼の「高松陶器場」の記載がある点です。こうした記載がある絵図はあまり類例がありません。初公開。


南紀高松焼花生20090306  (画像クリックで拡大)
南紀高松焼
染付高松茶屋根上松図花生 一口
口径17.3? 高34.6? 江戸時代(19世紀)
和歌山県立博物館蔵
 ほぼ円筒形ですが、わずかに底面に向かってすぼまっている花生です。胴には、砂丘の上に生える高松の根上松と高松茶屋が染付で表現されています。天地の縁には雷文がめぐらされ、底面高台の中央には、染付銘で「南紀高松」とあります。和歌山城下の高松(現、和歌山市東高松付近)にあった窯(高松陶器場)で焼かれたものです。南紀高松焼は、西浜御殿で焼かれた偕楽園焼との関連が指摘されています。窯跡の調査から2基の連房式登窯(階段式)が確認されています。高松は和歌浦への入口とされ、根が地上高く露出した「根上り松」の群生地として、古くから有名でした。


和歌御祭礼図屏風20090306  (画像クリックで拡大)
和歌御祭礼図屏風 六曲一双
各169.5?×373.5? 寛文5年(1665)
海善寺蔵 和歌山市指定文化財
 徳川家康の命日である4月17日に行われた和歌祭(東照宮祭礼)を描いています。御旅所に向かう渡御行列(先の渡り物・練り物・後の渡り物で構成)を中心に据えながら、行列周辺の景観についても詳しい描写があります。寛文5年は家康50回忌にあたり、祭礼は盛大に行われました。沿道には桟敷が作られ、家紋の入った幕もみられます。和歌祭は、縮小や中断はあったものの今日まで続いており、本屛風は当初の和歌祭の形態を知るうえで貴重なものです。伝来から、町方(とくに、湊)が制作に関与していた可能性が指摘されています。昨年4月和歌祭の舞台である和歌浦が和歌山県の名勝・史跡に指定されました。また、同じ昨年4月本屏風は和歌山市指定文化財に指定されています。


企画展「絵図をよむ2―和歌山再発見 お城に殿様がいたころ―”
和歌山県立博物館ウェブサイト

ツイートボタン
いいねボタン