今回、三重県熊野市の清泰寺から千手観音立像をお借りし、展示させていただいております【展示番号96】。この千手観音立像は、伊勢路沿いにあった泊観音にかつて前立像として祀られていたものです。泊観音は正式名称を比音山清水寺といい、熊野市大泊から波田須へ向かう伊勢路の派生ルート・観音道の頂上にかつてありました。本堂の裏には岩窟があり、そのなかに閻浮檀金の観音像が納められていたともいいます(『紀伊国名所図会』)。昭和39年(1964)参詣者もなくなり無住となったため、前立像(本像)は清泰寺に移されたそうです。なお、平成26年(2014)、有志によって岩窟のなかに千手観音の石像が奉納されています。
この千手観音立像は台座の裏に銘文があり、文政13年(1830)に京都の仏師によって造られたものであることがわかります。そして、大泊の旧家に残る縁起によると、この前立像は応永年間(1394~1428)に火災にあい、その後、宝永4年(1707)の地震により壊れたといいます。文政13年と宝永4年とでは約120年ほどの開きがありますが、本像は宝永4年後損傷した観音像が、文政13年に新たに復興されたものの可能性があります。
さて、本像で注目していただきたいポイントは像の裏側です。裏側の背中の部分には四角い窓が設けられています。そしてその窓からは、仏像の後頭部(毛髪)が見えます。形から判断して古い仏像であると思われ、縁起にいう応永の火災・宝永の地震にあった損傷した仏様の頭部なのではないかと思われます。つまり、文政13年に新たに千手観音像を造るに際して、古い仏像を新しい仏像の像内に籠めたものと思われます。展示でも裏側に回って見られるように展示しています。泊観音の歴史の古さを物語るとともに、観音様への信仰が連綿と続き、像を大切に守り続けてきた当地の人々の営みを知ることができます。
そしてもう一つの見どころを紹介してます。この千手観音立像は頭の上で二つの手を高く掲げて、手のひらの上に化仏を置く姿であらわされている点です。これは清水寺式(清水寺型)の千手観音像と呼ばれる形式のものです。京都の音羽山清水寺の秘仏本尊千手観音像をうつして造られたもので、各地に残されているようです。清水寺式の千手観音像が熊野になぜあるのか、興味引かれるところです。清水寺式の千手観音像が残るのは、京都の清水寺を創建した坂上田村麻呂と関わる地域であるという指摘があります。泊観音は坂上田村麻呂の創建と伝えられ、熊野市の大馬神社も坂上田村麻呂が祭神として祀られているともいい、熊野と坂上田村麻呂とは非常に深い結びつきがあります。熊野へ実際に坂上田村麻呂がやって来たことを示す記録などは残されていませんが、当地に残る坂上田村麻伝説とも密接に関わって創り出された形の像であることは確かでしょう。
由来・縁起とも関わり、背面や手の組み方など見どころ満載です。是非、博物館でじっくりと実物を拝見していただけたらと思います。