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南葵文庫(なんきぶんこ)旧館の歩み―旧南葵文庫「ヴィラ・デル・ソル」を訪ねて―

今から1年半ほど前のことになりますが、2008年12月6日から2009年1月25日の会期で当館で開催した「新収蔵品展」で、南葵文庫(なんきぶんこ)旧蔵の椅子(いす)や机(つくえ)を展示いたしました。(現在は、展示しておりません)
喜多村進机椅子
南葵文庫とは、紀伊徳川家の第15代当主である徳川頼倫(とくがわよりみち、1872-1925)が、自らの邸内である東京の麻布飯倉(あざぶいいくら、現在の東京都港区)に創設した私設の図書館です。
明治32年(1899)に本館(のちの旧館)を建て、明治35年(1902)に文庫を開館しました。その後、明治38年(1905)年に書庫を増築し、さらに明治41年(1908)には新館を建て増して、この年から本格的な文庫の一般公開をおこなっています。
蔵書は、紀伊徳川家に伝わった約2万冊の和漢書を中心としながら、徐々に新規購入書や寄贈書を追加していった約10万冊からなり、大半の蔵書は、だれでも自由に閲覧できたようです。
しかし、大正12年(1923)の関東大震災で全焼した東京帝国大学附属図書館(以下、東大図書館と略す)を復興するため、頼倫は、大正13年(1924)にその蔵書の大半にあたる約9万6000冊を東大図書館へ寄贈し、南葵文庫を閉鎖させています。
南葵文庫の建物自体は、新しい東大図書館の建物が完成する昭和3年(1928)まで、東大図書館の分室として利用されたようですが、その後、旧館の部分を除いて、南葵文庫の建物は取り壊されてしまいました。
この南葵文庫で使用されていたとみられる椅子や机が、当館の所蔵品となった経緯については、コラム「机と椅子の大正ロマン―南葵文庫と喜多村進(きたむらすすむ)―」でくわしく書きましたので、あわせてご参照下さい。
ところで、その際、少しご紹介しましたが、南葵文庫の旧館の一部が、静岡県熱海市にある「ヴィラ・デル・ソル」というホテルとなって残されています。
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少し前のことになりますが、この「ヴィラ・デル・ソル」へ立ち寄る機会がありましたので、ホテルの許可を得て、建物の写真をいくつか撮影してきました。
今回の博物館ニュースでは、この南葵文庫の旧館が歩んだ歴史とともに、現在の「ヴィラ・デル・ソル」の写真をご紹介しましょう。
東大図書館の分室としての役割を終えた南葵文庫は、その旧館部分のみが残されました。
この旧館は、南葵文庫の中で最も古い建物で、明治32年(1899)12月に竣工した、木骨瓦張り(もっこつかわらばり)漆喰塗(しっくいぬり)の2階建ての西洋館でした。全体に住宅風の造りとなっており、設計は石村金次郎と伝えられていますが、この石村という人物についてはよくわかっていません。
南葵文庫時代のこの旧館は、1階に客室・応接室(南葵文庫の新館が建つまでは、1階に閲覧室)があり、2階に庫主室・主幹室・会議室があったようです。
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(現在の「ヴィラ・デル・ソル」の2階)
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(現在の「ヴィラ・デル・ソル」の1階)
この旧館は、東大図書館の分室として利用された後、一時、南葵育英会(なんきいくえいかい、徳川頼倫が設立した育英会)の事務所として利用されていたといいます。
しかし、昭和8年(1933)に、この南葵文庫の旧館は、頼倫の子で紀伊徳川家第16代当主である徳川頼貞(とくがわよりさだ、1892-1954)の別邸があった神奈川県の大磯(おおいそ)へ移築されました。
移築にあたっては、一部を改装したほか、玄関やベランダが増築され、建物は新しく「VILLA DEL SOL(ヴィラ・デル・ソル、「太陽の館」という意味)」と名付けられたようです。
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(現在の「ヴィラ・デル・ソル」の外観)
このときの大きな改装・増築部分としては、まず、玄関を中廊下の軸線からはずして左側に寄せ、外壁も漆喰塗から1階は人造石洗い出し(じんぞうせきあらいだし)へ、2階は人造石掻落とし(じんぞうせきかきおとし)へと変えられました。
一方、1階内部の客室はそのままでしたが、宿直室は和室に改装され、2階は庫主室のみがそのままで、主幹室や会議室は、洋室・和室・風呂・洗面所などに改装されたといいます。
また、中廊下の天井を円筒状にし、階段の天井と、玄関上の欄間(らんま)にステンドグラスが入れられました。現在も、玄関上の欄間には、「VILLA DEL SOL」の文字をあらわしたステンドグラスがはめられています。
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(階段と階段天井のステンドグラス)
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(玄関と玄関欄間のステンドグラス)
なお、この「ヴィラ・デル・ソル」の建物は、昭和18年(1943)に野村財閥の2代野村徳七(のむらとくしち、1878-1945)の所有となったようですが、その後の改装は比較的少なく、大切に使用されていたようです。
しかし、昭和50年代になると建物の老朽化がはげしくなり、この「ヴィラ・デル・ソル」は取り壊されることとなりました。
すると、それを聞いた熱海伊豆山温泉の旅館「蓬莱(ほうらい)」の女将が、由緒ある建物が失われるのを惜しみ、旅館の別館のホテルとして、現在地へ移築することを決断したのです。
このホテルとしての移築にあたっては、名城大学の志水研究室の全面的な協力のもと、可能な限り明治期の状態まで復元することが目指されたようです。南葵文庫当時の図面2枚、写真5枚、大磯移築当時の写真7枚と現地実測資料をもとに、設計・工事が進められたといいます。シャンデリアや壁紙・ドアの金具にいたるまで、明治期のものに復元する努力がなされ、家具などはイギリスでアンティークのものを求めたとされています。
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たしかに、窓や扉の金具には、建築当初からかどうかはわかりませんが、かなり古い部材がそのまま使用されているようでしたし、シャンデリアなどには、紀伊徳川家ゆかりの葵(あおい)の文様が施されたものも確認されました。
こうした、惜しみない努力の結果、昭和62年(1987)に、ホテル「ヴィラ・デル・ソル」が完成したようです。
この「ヴィラ・デル・ソル」は、「旧南葵文庫」として、平成20年(2008)に国の登録有形文化財にも登録されています。
紀伊徳川家ゆかりの南葵文庫の建物は、このように、東京からも和歌山からも遠く離れた静岡県熱海の地で、大切に保存されているのです。頼倫や頼貞がめざした「私設」図書館の思いは、今もなお、こうした個人個人のつながりと、それを守ろうとする熱い思いによって支えられているともいえるでしょう。
ところで、この南葵文庫の旧館を設計した石村金次郎についてはよくわかっていませんが、じつは、現在残されているホテル「ヴィラ・デル・ソル」の中で、一つだけ設計者が推測できる部分があります。それは、ホテル「ヴィラ・デル・ソル」に到着して一番最初に私たちを迎えてくれる門扉(もんぴ)です。
最後に、この門扉にまつわる話を付け加えておきましょう。
南葵文庫を設立した徳川頼倫は、南葵楽堂(なんきがくどう)という音楽堂を建てたことでも有名です。これには、頼倫の子である頼貞が、西洋音楽に関心を持っており、大正3年(1914)にイギリスのケンブリッジ大学に入学して音楽理論を学んだこととも関係があるようで、音楽堂の建設には、頼貞の意向が強く反映していると考えられています。
この南葵楽堂は、大正7年(1918)に、南葵文庫本館の南に建てられましたが、その設計は、イギリス人のブルメル・トーマスの設計案の上に、アメリカ人のウィリアム・メレル・ヴォーリズが修正を加えたものが採用されたようです。
また、大正9年(1920)には、イギリスへ発注していたパイプオルガンが到着し、この南葵楽堂に備え付けられました。
ただ、残念ながら、この南葵楽堂も、関東大震災で大きな被害を受け、倒壊してしまいます。
その被害があまりに大きかったため、頼貞も楽堂の再建を断念しましたが、パイプオルガンは昭和3年(1928)に東京音楽学校(現在の東京藝術大学)に寄付され、同校の奏楽堂に設置されました。
ちなみに、このパイプオルガンは、現在も上野公園内にある旧奏楽堂に残されています。
一方、この南葵楽堂の門扉は、その後、南葵文庫旧館とともに、大磯に移築されたと伝えられているのです。
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写真は、現在のホテル「ヴィラ・デル・ソル」の門扉です。
南葵楽堂の門扉が大磯に移築されたのであれば、その大磯から熱海へ移築してくるときにも、この門扉は移築されたでしょうから、おそらく、これが、旧南葵楽堂の門扉で、ヴォーリズの設計になるものでしょう。
豊郷(とよさと)小学校の一件以来、近年、とみに注目を集めているヴォーリズの建築ですが、この門扉を通して、今は無き、南葵楽堂に思いを馳せてみるのもよいかも知れません。
なお、この記事の執筆にあたりましては、坪田茉莉子氏の著書『南葵文庫-目学問・耳学問-』(郁朋社、2001年)を参照させていただきました。南葵文庫の変遷などにつきましては、同書の内容に依拠しています。南葵文庫の歴史についてよりくわしく知りたい方は、図書館などで同書をご参照ください。また、写真撮影および写真掲載にあたりましては、ホテル「ヴィラ・デル・ソル」さまおよび旅館「蓬莱」さまより、格別のご高配とご許可を賜りました。記してここに感謝申し上げます。(学芸員 安永拓世)

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