和歌山市の和歌浦は、万葉歌にもうたわれた風光明媚な景勝地であり、ここに徳川家康をまつる紀州東照宮がある。その春の大祭は和歌祭(わかまつり)と呼ばれ、約400年前から現在まで、幾度かの断絶を乗り越え、和歌浦を舞台に賑やかに執り行われてきた。
和歌祭の大きな特徴は、神輿が東照宮から御旅所へと移動する際に、様々な扮装をこらした多様な行列が練り歩くことにある。その行列の一つに、面掛(めんかけ)がある。
面掛はその名の通り仮面を付けて練り歩く仮装行列で、古くは仮面と頭巾をかぶって華麗な装束を身につけ踊り歩いたが、近年は仮面を頭に乗せたり首に掛け、顔に直接ペインティングを施すかたちに変化している。和歌祭を代表するな活気あふれる行列である。
和歌祭・面掛行列のようす
平成17年、この面掛で使われてきた仮面の調査を初めて行った。驚いたことにそれらは、鎌倉時代から近代にかけて作られた能面・狂言面・神楽面など97面からなる、全国的にもまれな大仮面群であった。奇跡の仮面。脳裏にその言葉が浮かんだ。
例えば仮面の裏側に「方廣作」という銘文を持つ7面は、能面や狂言面の原型ともいうべき古様さを持っていて、全て5?600年前に作られたものと考えられる。また、神事で用いられたとみられる神秘的な表情の仮面は全国に類例のない特殊なもので、鎌倉時代にまで遡る可能性がある。日本の仮面史が、一気に厚みを増した瞬間であった。
左:「方廣作」の銘がある仮面 中:神秘的な表情の仮面 右:「天下一友閑」の焼印がある仮面
こうした水準の仮面を集めることができたのはだれか。そのヒントもまた、仮面にあった。仮面群中、面裏に「天下一友閑」という焼印がおされた能面が7面ある。天下一友閑(てんかいちゆうかん)は、江戸時代前期の仮面製作の名人、出目満庸(でめみつやす)のこと。その仮面は、能が武家にとっての正式な歌舞音曲(式楽)であった江戸時代において、簡単には入手できない貴重品だ。ましてやそんな貴重な能面を仮面行列で使用するなど、普通では考えられない。
それだけの仮面を用意できた人物は、和歌祭を創始し、自身も能の名人であった紀伊徳川家初代藩主の徳川頼宣(よりのぶ)の存在をおいて他には考えられない。神となった父家康を慰撫するための祭礼に、最高級の仮面を用意したのではないだろうか。
今年の和歌祭は、5月15日(日)に行われる。新たに奉納された仮面に混じって、和歌浦の歴史を見続けてきた古い仮面が、今年もまた賑やかに練り歩く。(学芸員 大河内 智之)