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明恵上人夢記断簡(三月五日夜の夢)(館蔵品1141)

明恵上人夢記断簡(三月五日夜の夢) (館蔵品1141)
明恵上人の夢記の断簡です。こちらも2020年度の新収資料です。
明恵上人夢記断簡(三月五日夜の夢)
(画像をクリックすると拡大します)
【基本情報】(『明恵上人夢記訳注』に準拠)
[年月日]某年三月五日
[体裁・行数]掛幅装(28.4㎝、22.6㎝)・11行
[自称]高弁 [人名]恵日房 [要語]本住、常居処、串柿 [挿絵]無
【釈文】
(端裏書)「栂尾明恵上人真蹟 夢之記」
  (前欠)
 候処ニ出テ、今ハカクソ可送本住
 ト思住歓喜、心覚了、
一 同三月五日夜夢、
  我々常居処予只在之《呼》
  高弁呼恵日房串柿ヲ《柑子》
  ヲ(ママ)取テ奉之、予心思ク、寝□
  十諸方ヲ枕ニスヘシ、アトニハ无
  礼也、恒ニ此処ニ在也ト思フ、恵
  日房戯レテ云ク、イタク此ナリ
  ナハ御料ハナラシトイフ、云ク聞
  之无礼ニ覚ユ、此○御居処我々
  (後欠)
《 》は抹消記号、○は挿入記号を表します。
※釈読にあたっては、明恵上人夢記研究会による検討結果も参考にさせていただきました。
明恵上人夢記の説明については、明恵上人夢記断簡(館蔵1065)もご参照ください。
明恵上人夢記研究会による『明恵上人夢記訳注』(勉誠出版、2015年)では、
夢記断簡類も74点が集成されていますが(そのうち1点は当館所蔵(館蔵1065)))、
この資料は『明恵上人夢記訳注』にも収録されていない新出の資料です。
この夢記断簡は、新しい桐箱に収納されています。
本文は全文で11行、年未詳で前欠・後欠のため、全貌や文意が不明な点もありますが、
3行目以降、明恵が3月5日夜に見た夢の内容が記されています。
現状では掛幅装に仕立てられ、端裏には「栂尾明恵上人真蹟 夢之記」との墨書があります。
夢の内容は、明恵が恵日房成忍を呼び串柿を与え、それに対し成忍が戯れで応答した、というものです。
この資料では、明恵自身が「高弁」と自称していることから、
承元4年(1210)以降に記されたものであることがわかります。
またこの夢記に登場する恵日房は、
明恵の弟子で画僧でもあった恵日房成忍のことと思われます
(平田寛「明恵の周辺―恵日房成忍と俊賀の場合―」『哲学年報』34号、1975年)。
成忍は、「明恵上人樹上坐禅図」などを描いたことでも知られています。
現状、夢記に成忍が登場するのは、この夢記のみで、その点でも極めて貴重なものとなっています。
成忍と明恵が近い関係にあったことも、この夢記からあらためてうかがわれます。
夢の舞台となった場所は、「本住」「常居処」「居処」とあり明確ではありませんが、
成忍が登場することから、京都高山寺の可能性を想定しておきたいと思います。
串柿と出てくるのも、早い事例かと思います。
『日本国語大辞典』「串柿」の項では、「庭訓往来」や「御湯殿上日記」などが類例として挙げられ、
そのほか柿に関する論文を見ても、「日蓮聖人書状」などが取り上げられており、
奈良時代の干柿が、鎌倉時代に入って細紐を必要としない串柿が普及したとされています
(川上行蔵「食物夜話―柿の話〈2〉―」『食生活総合研究会誌』2-2、1991年)。
そのため、串柿の初出史料か!とも思いましたが、
『平安遺文』を調べてみると、既に平安時代から串柿がありました
(康和4年(1102)3月10日 東寺御影供料足支配状、『平安遺文』4-1476)。
初出ではないのですが、早期の事例ということはできるかもしれません。
(串)柿の歴史についても、もう少し検討を深めていきたいと思います。
和歌山の柿の史料だったら、面白いと思ったのですが、
なかなか都合良くはいかないものです。
年代が不明で、なおかつ内容も正確に把握することが難しい点もありますが、
湯浅党出身の明恵による夢記の新出資料であるうえ、
恵日房成忍に関わる資料でもあり、興味深いものがあります。
なお、テキストの釈読、解釈については、明恵上人夢記研究会より、
ご意見をいただき、参考にさせていただきました。
ただ、少し読みを変えた部分もあります。
また明恵上人夢記研究会のほうでも成果を出していただけるようなので、
今後の研究の進展にも注目・期待したいと思います。
(当館学芸員 坂本亮太)

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