今日(30日)は最後のミュージアム・トークを行いました。15人の方にお集まりいただきました。
若いお母さんが一歳にもならない男の子を抱っこしながら、耳を傾けてくれていました。熱心にメモをとる女子学生さんもいました。地元のかつらぎ町から来たという男性もいました。
まさに老若男女、様々な方々に参加いただいた印象に残るトークとなりました。
特別展「紀伊国カセ田荘と文覚井」も明日が最終日になります。
展示をご覧いただくことで、色々教えていただくことがよくあります。
例えば、展示番号76の宝来山神社境内図です。
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一幅
絹本著色 縦134.2㎝ 横63.0㎝
昭和8年(1933)
宝来山神社蔵
当初落款から、「朝光なる人物によって描かれた」としていましたが、展示をみた方から、かつらぎ町出身の山本朝光という画家であると教えていただきました。
この境内図は、昭和8年に描かれたもので、山際に春日造(かすがづくり)の本殿四社と流造(ながれづくり)の末社(東殿・西殿)がみえます。右端にみえる瓦葺(かわらぶき)の屋根は、神願寺本堂です。手前に描かれた朱塗りの両部鳥居の前にみえる松は、船繋松(ふなつなぎまつ)のようです。
昭和15年に紀元2600年記念事業で境内の拡張や整備が行われ、拝殿の建て替え、幣殿(へいでん)の新築、遥拝所(ようはいしょ)の移転が行われており、現在の景観とは異なる景観を描いた貴重なものです。
ところで、その後、ある個人宅の資料を整理していた同室の学芸員から、展示している「朝光」が書いた宝来山神社の境内図があると聞かされました。
色紙に描かれた神社はまさに宝来山神社で、左下の落款から、展示番号76の絵を描いた人物と同じ山本朝光であることがわかります。
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この色紙の裏には、山本朝光の略歴が詳しく記されています。また、作成動機や作成時期もわかります。今回、確認された色紙に描かれた宝来山神社の景観は、昭和25年(1950)のようです。
自分の勉強不足はさておき、こうして展覧会開催によって明らかになることも多く、まさに、「展覧会は終わっても、調査は終わりではなく、むしろ始まりである」とつくづく感じます。
ところで、紀伊国名所図会(きいのくにめいしょずえ)三編巻之二には、江戸時代の宝来山神社の景観が描かれています。明治初年の神仏分離による景観の変化も知ることができます。また、紀伊続風土記(きいしょくふどき)には、神宮寺があり、本堂・釣鐘堂・僧坊があったと記されています。
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→和歌山県立博物館ウェブサイト
(主任学芸員 前田正明)