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桑山玉洲の襖絵 富岳図・山水図襖はどこにあったのか?

前回のコラムでは、桑山玉洲(くわやまぎょくしゅう、1746?99)の屏風(びょうぶ)について、ご紹介しましたが、今日は、ミュージアムトークで、これらの屏風を含む玉洲の作品が多く所蔵されている念誓寺(ねんせいじ)についてのご質問もありましたので、今回のコラムも、引き続いて、玉洲の襖絵を取り上げてみましょう。
和歌山市内にある念誓寺には、前回ご紹介した「那智山・熊野橋柱巌図屏風(なちさん・くまのはしぐいいわずびょうぶ)」とともに、玉洲が描いた襖絵が、合計16面伝えられています。これらは、主題や画面のつながりから、4面、4面、8面の三つの場面に分けられます。
玉洲「富岳図襖」1
? 和歌山市指定文化財 富岳図襖 桑山玉洲筆 寛政7年(1795) 念誓寺蔵
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これら三つの場面の順番については、よくわかりませんが、?は、現在の静岡県の浮島が原(うきしまがはら)のあたりから見た富士山を描いたとみられる4面の「富岳図襖」です。この?の4面には、寛政7年(1795)という制作された年が書かれており、玉洲が50歳のときに描いたとわかります。また、「那智山・熊野橋柱巌図屏風」と同じく、10世紀ごろに中国で活躍した董源(とうげん、生没年未詳)という画家の描き方をまねたことも書かれています。他の?の4面や、?の8面の襖絵には、こうした記述がないので、貴重な情報といえます。
玉洲「富岳図襖」2
? 和歌山市指定文化財 富岳図襖 桑山玉洲筆 念誓寺蔵
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次に、?の襖絵4面も、同じく富士山を主題としていますが、こちらは箱根の山間から見た富士山を描いたものと考えられています。この?の襖絵には、制作年を示す年号などはありませんが、?の襖絵と紙継ぎ(かみつぎ)の状況などが一致しています(1面の襖絵につき、横長の紙を3枚縦に継いでいます)。このことから、おそらく?の襖絵とほぼ同じ時期に、同じ場所の襖絵として描かれたと想像されます。
なお、玉洲は、廻船業や両替商を営んでいたこともあり、若いころに何度か江戸へ行っているようです。?や?の襖絵に描かれた富士山の風景は、あるいは、そうした際に玉洲が実際に見た富士山の風景を、参考にしている可能性が高いといえます。
玉洲「山水図襖」(左4面)玉洲「山水図襖」(右4面)
? 和歌山市指定文化財 山水図襖 桑山玉洲筆 念誓寺蔵
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一方、?の襖絵8面は、どこか特定の場所というわけではなく、水辺に面した中国風の山水を描いているようです。ただ、画面の下の方をよく見ると、橋の上を歩く人物や、中国風の建物や楼閣(ろうかく)、舟などが描かれています。玉洲が和歌浦出身であり、かつ、当時の和歌浦が中国の西湖(せいこ)になぞらえられていたことを考え合わせると、和歌浦を中国の西湖風に描いたとも考えられるでしょう。この?の8面の襖絵については、?や?の襖絵と紙継ぎの状態が少し異なり、紙継ぎの無い大きな1枚の紙で、1面分の襖絵を描いています。その点で、?や?の襖絵とは、制作時期や制作事情が異なる可能性もありますが、画面もほぼ同じ大きさで、紙の質もよく似ていますし、絵の中に使われているハンコも同じです。やはり、いずれも同じような時期に、同じ場所の襖絵として描かれたと考えられるでしょう。
ところで、この?の襖絵には、他の?や?の襖絵にはみられない特徴があります。それは、8面のうち、向かって左側の4面が茶色く変色していることです。とりわけ、この4面のうち、中央の2面が強く変色しています。これは、この変色の強い2面が、長期間にわたって開け放たれていて、左右の2面よりも手前にあったことを物語っています。こうした状況の襖絵は、寺院の本堂や仏間などの襖絵によくみられます。つまり、本堂や仏間では、中央の本尊や仏間が常時見えるように、襖を開け放っており、それゆえに南側に面した仏間の襖の中央2面だけが、日光を強く受けて、茶色く変色するのです。
これら???の襖絵は、いずれも、もともとは念誓寺にあった襖絵ではなく、どこか別の場所から念誓寺にもたらされたようです。そのくわしい経緯については、よくわかりませんが、伝承では、玉洲の菩提寺である宗善寺(そうぜんじ)という寺院に、もともとあった襖絵であるとも伝えられています。この伝承を裏付ける資料は、今のところ確認できませんが、いずれにせよ、こうした変色の状況から見て、この襖絵が、玉洲とゆかりの深い寺院の仏間や本堂などの襖絵であった可能性は高いといえるでしょう。
玉洲は、自分が文人画家であるということにプライドを持っていたようで、襖や屏風のような大画面の作品は、文人画家ではなく、狩野派などの職業画家が描くものであると考えていました。それゆえ、玉洲自身は、大作をあまり好んで描かなかったようです。事実、現存する玉洲の作品では、この念誓寺の襖絵以外に、大画面の襖絵は確認されていません。その意味で、これらの一連の襖絵は、玉洲の現存する唯一の大作の襖絵として、きわめてめずらしく、とても貴重な作品といえます。
以上のような点が評価されて、これら16面の襖絵は、すべて、平成19年(2007)に和歌山市の指定文化財に指定されました。指定を受けてから、「那智山・熊野橋柱巌図屏風」とともに一堂に公開されるのは、今回が初めての機会となります。この機会を、ぜひお見逃しなく(学芸員 安永拓世)
企画展 「新発見・新指定の文化財」
和歌山県立博物館ウェブサイト

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